戦後の世界経済において、一極秩序の覇権国たる米国は「グローバルな保険提供者」として振る舞ってきました。
いわゆるグローバル・コモンズと呼ばれる安全な航路や財産権の保障、安定したドルという公共財を提供することで、我が国をはじめ各国はリスク回避コストを削減し、成長と繁栄を享受することができました。
これが、ピーターソン国際経済研究所のアダム・S・ポーセン氏が描く「保険論」の枠組みです。
しかしながら、米国は覇権国としての力を明らかに弱めつつあります。
トランプ政権はその役割を放棄し、不確実性を武器化して他国に過大な「保険料」を課すようになった、と同氏は指摘しています。
その結果、世界は資産防衛に追われ、投資やイノベーションが滞る「誰もが苦しむ世界」へと傾きつつあります。
これに対し、評論家の中野剛志氏は、同じ現象を「通貨戦争」という視点から読み解きます。
米国はドルが基軸通貨である限り経常赤字を背負わざるを得ず、その負担を軽減するために、関税を通じて他国の通貨安・輸出主導構造に圧力をかけていると言うのです。
すなわち、「トランプ関税」は単なる保護主義ではなく、為替に対する間接的圧力、すなわちドル安誘導のための政治的装置だというわけです。
さらに、トランプ政権は「国際緊急経済権限法(IEEPA)」を平時にまで拡大解釈し、制度的に通貨戦争を遂行できる立場を手にしています。
中野氏によれば、これはいずれ「第4の通貨合意」(ブレトンウッズ合意、スミソニアン合意、プラザ合意に連なる新たな国際通貨体制の合意)へと向かう歴史的過程であるとし、日本は単なる関税問題に直面しているのではなく、国際通貨秩序の再編という大局に巻き込まれているとしています。
ここで問われるのは、日本が「被害者」にとどまるのか、それとも「戦略主体」として立ち回るのかという根本的な選択です。
ポーセン氏の視座に立てば、日本は米国に忠実であったがゆえに最も大きな損失を被る「保険契約者」にすぎません。
しかし中野氏の視座に立てば、日本は通貨戦争の新時代において、自らの経済戦略と通貨主権を持って臨むべき主体的存在です。
どちらを選ぶかによって、日本経済の未来は大きく変わるでしょう。
この論点を地方経済に引き直すと、より切実な課題が見えてきます。
関税や通貨体制の変動は、まず大企業の輸出入に直撃し、その影響はやがて地方の雇用や中小企業の資金繰りに及びます。
例えば、自動車や半導体といった主力産業のコスト構造が揺さぶられれば、関連する部品メーカーや物流企業にしわ寄せが生じます。
さらに、金融市場の不安定化によって円資産が乱高下すれば、通貨発行権無き自治体財政や公共事業の資金調達にも影響が避けられません。
自治体が発行する地方債の調達コストは、円安や金利上昇によって確実に押し上げられ、その結果、医療・福祉・教育といった住民サービスの持続性に影響します。
とりわけ、学校給食の米価やエネルギーコストの変動は教育現場や福祉施設の運営費に直結します。
加えて、医療機関にとっては輸入医薬品の価格高騰が経営を圧迫し、建設分野では輸入資材のコスト上昇が公共事業や住宅整備の停滞を招きかねません。
このように、教育・医療・建設といった市民生活に身近な分野こそ、通貨戦争の影響を最も敏感に受けるのです。
したがって、日本に求められるのは、国家レベルでの通貨主権の議論にとどまりません。
地方においても、為替変動や国際金利の影響を視野に入れた産業基盤の再構築、農産物やエネルギー調達の多角化、そして金融リスクに強い地域経済構造の形成が不可欠です。
結局のところ、日本が「被害者」として受け身に振る舞うのか、「戦略主体」として未来を設計するのかは、地方の経済政策とも直結しています。
今問われているのは、単なる技術的対応ではなく、国家として、そして地域として、この通貨戦争の時代をどう生き抜くのかという覚悟が求められているのです。