国民を株価づけにした政治の罪

国民を株価づけにした政治の罪

日経平均株価が、初めて4万5,000円台に達しました。

しかしながら、株価と実体経済は別物です。

どんなに株価が上昇しようとも、一人当たりGDPが増えず、実質賃金が下落し続けているのであれば、圧倒的多数の国民は豊かになれません。

政治の目的である「経世済民」は達成されないのです。

我が国の政治が株主資本主義の色に染まっていったのは1990年代からですが、とりわけ小泉内閣以降は急加速し、安倍政権においてはさらに顕著になりました。

いわゆる「アベノミクス」という経済政策の歴史的評価はさておき、第二次安倍政権が「日経平均至上主義」であったことは否定できません。

実際、首相官邸の執務室には日経平均株価のボードが掲示されていたと報じられています。

安倍政権が株価の動きをいかに重視していたかがわかります。

むろん、政策判断において株価も一つの重要な経済指標でしょう。

ですが政府の第一義的な責務は、国民の実質所得を豊かにすることです。

株価を上げること自体が目的化してはならないのです。

残念ながら、安倍政権期も日経平均は上昇したものの、実質賃金は低下傾向が続きました。

厚労省「毎月勤労統計」によれば、2013年以降の実質賃金指数は下落基調にあり、2025年現在も回復していません。

言うまでもなく、国民の大多数は投資家ではありません。

NISAの普及によって株式投資人口は増えたとはいえ、2024年末時点でNISA口座を保有しているのは国民の約4割にとどまります。

依然として過半数の国民は株式投資を行っていないのです。

安倍政権はデフレ脱却を目的に、日銀が資金供給を拡大する「リフレ政策」を採用しました。

日銀が国債やETFなどを大量購入することで金利を下げ、為替を円安に誘導し、輸出増を通じて需要を拡大する――それが「デフレ脱却の理屈」でした。

実際、2013年以降、円安が進行する中で日経平均株価は大きく上昇しました。

その理由の一つは、日本株取引の6〜7割を外国人投資家が占めているからです。

円安は外国人にとって日本株を「お買い得」にし、彼らは一斉に買いに走ったのです。

外国人投資家にとって、日本株市場は「円安は買い、円高は売り」なのです。

さらに問題なのは、日銀が上場投資信託(ETF)の大量購入に踏み切ったことです。

2013年にほぼゼロだったETF保有額は、2022年には簿価ベースで36兆円、市場時価では70兆円規模に達しました。

これは本来の金融政策の範囲を逸脱し、株価を人為的に下支えする政策にほかなりません。

国際的にも「市場機能を歪め、出口戦略が困難になる」と批判されています。

本来、日銀が資金供給を拡大するのであれば、地方債を直接購入し自治体の負債を軽減する仕組みを設けるべきでした。

そうすれば地域経済の再生に直結したはずです。

また、年金基金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が、安倍政権下で株式保有比率を大幅に引き上げたことも見逃せません。

GPIFの株式保有額は2012年の20兆円から、2019年には80兆円にまで増えました。

年金資金は本来ローリスク・ローリターンで運用されるべきものであり、株式市場への過度な依存は暴落時に国民年金資産を直撃するリスクを孕んでいます。

こうして安倍政権は、日銀やGPIFを通じて株価を押し上げる政策を強力に推進しました。

しかし一方で、財務省の圧力には屈し、実質賃金を引き上げるための政策、すなわち継続的な財政支出拡大を断行することはできませんでした。

政権基盤が安定していた安倍政権をもってしても、財務省という壁を乗り越えることはできなかったのです。

その流れは、岸田政権以降も現在に至るまで変わっていません。

しかも政府は今、若者層に「NISA」や「新NISA」を通じて株式投資を奨励しています。

ですが株価は市場の思惑によって常に変動するものであり、政治の思惑通りにはなりません。

ひとたび暴落が起きれば、最終的に損失を被るのは日本国民です。

政治が株価上昇に依存する仕組みを作った結果、国民もまた株価に依存させられてしまったのです。

これこそ本末転倒です。