軍事なき外交は成立せず_ドローン戦争が示す時代の教訓

軍事なき外交は成立せず_ドローン戦争が示す時代の教訓

ロシア・ウクライナ戦争によって明らかになった「砲撃戦」から「ドローン戦」への変化は、軍事と外交の不可分性を改めて象徴しています。

従来の砲撃戦は「火力と兵站の多寡」で勝敗が決まりやすく、大国同士の正規戦においては軍事力の総量が外交力の裏付けとなってきました。

つまり、物量を支えられる国こそが発言権を持つ、というシンプルな構図です。

ところがドローン戦の時代に入ると、力の指標は一変します。

「安価・大量生産・迅速改良」という要素によって戦力は急速に変動し、従来の規模の優位性は容易に揺らぐのです。

すなわち、最新技術をいち早く実戦に取り込み、それを軍事力として具現化できる国が、外交においても主導権を握ることになります。

軍事のあり方そのものが変化することで、外交の力学もまたそれに従って再編されるわけです。

それに、今や戦場は単なる消耗の場ではなく、国際的な研究開発の実験場と化しています。

ウクライナの戦場は事実上のR&D(研究開発)の場となり、米国や欧州はそこから新技術や戦術データを吸い上げています。

しかもその成果は研究室にとどまらず、同盟関係や支援関係を通じて即座に外交カードに転換されるのです。

たとえば米国は「ウクライナへの支援=自国防衛力の強化」という構図を明確に外交戦略へ組み込み、同盟国に対して自らの軍事的優位を誇示しています。

軍事的な成果や実験が、そのまま外交資源になることは、軍事と外交が切り離せないことを示しており、軍事力を背景としない外交は成立しないという厳然たる現実は不変です。

ドローンは「弱者でも強者を食い止め得る」非対称戦力であり、たとえ中小国であっても軍事的な工夫次第で外交的発言力を得ることができます。

逆に言えば、軍事的工夫を怠る国は、いかに美辞麗句を並べても、外交の場でますます無力化していかざるを得ないのです。

したがって、ロシア・ウクライナ戦争が示しているのは、

1.軍事技術の進化が外交力を直結して変えること、
2.戦場そのものが外交戦略を左右する知識・技術の供給源になっていること、
3.軍事力の有無や質が、そのまま外交的発言力を規定すること、

この三点に尽きるのです。

にもかかわらず、この現実を直視せず、「核兵器廃絶」と「戦争の悲惨さ」だけを訴えることが平和への道であるかのように語る人々がいます。

だが、それは単なる思考停止に過ぎず、無責任な理想主義にほかなりません。

核廃絶の唱和で国際秩序が変わるなら、世界はとっくに平和になっているはずです。

漠然と「核の脅威」を訴えるだけでは不十分であり、核兵器が持つ破壊力と抑止力を冷静に直視しなければ、真の平和戦略は描けません。

現実には、核抑止の有無こそが国際秩序の枠組みを規定してきました。

だからこそ、単なる「核廃絶」の理念だけを唱えるのではなく、核抑止をどう管理し、外交の枠組みにどう組み込むかを議論すべきなのです。

一方、戦争の悲惨さを強調する戦後平和主義は、道義的に正しくとも、現実の国際政治を変える力を持ちません。

むしろ、現実逃避の言説は、次なる戦争を防ぐどころか、その準備すら妨げ、国を危険にさらすことになります。

軍事と外交の不可分性を認識し、戦争の目的と効果を歴史的事実から冷徹に分析することこそ、将来の戦争を防ぐ唯一の道である。