「暫定」の名を借りた恒久増税。
ガソリン税に上乗せされた「暫定税率」は、名ばかりの暫定措置として半世紀近くも継続されてきましたが、ようやく与野党6党が年内の廃止に合意し、動き出しました。
令和7年8月6日には実務者協議も開かれ、政策実現に向けた動きがようやく本格化しつつあります。
しかし政府は、「軽油や重油も同様に引き下げた場合、年度内に約6,000億円の財源が不足する」との試算を示し、減税には新たな財源が不可欠だと訴えています。
自民党税調会長(≒財務省)の宮沢洋一氏も、「暫定税率分の財源を提示していただきたい」と述べ、減税に対する防衛線を張っています。
このことこそ、まさに日本の財政議論がいかに根本から誤っているかの象徴です。
そもそも、「減税には財源が必要だ」という通念自体が誤っています。
政府の財政支出は、家計や企業の支出とは異なり、自ら貨幣を創造することによって行われています。
現代の通貨制度において、政府が支出すれば、その額だけ民間の預金が増え、同時に銀行の準備預金も増加します。
これは「政府支出=貨幣供給の拡大」を意味しており、支出に先立って税収や国債発行による「財源確保」など必要ありません。
このように言うと、「ではなぜ、政府は税金を徴収するのか…」という疑問が生じることと思います。
しかし、税収とは、政府が支出したおカネを民間から吸い上げる手段に過ぎません。
政府の貨幣供給により流通量が増え過ぎればインフレ率が過度に上昇してしまうため、それを調整するために徴税という手段を用います。
つまり、税は「支出のための財源」ではなく、「インフレ抑制のための装置」なのです。
この点は、銀行の貸出と預金の関係と同じ構造を持ちます。
銀行は、預かったおカネを貸し出すのではありません。
貸し出すことで預金が創造されます。
貸出と同時に、借り手の預金口座に金額が記帳され、それが通貨として流通します。
主流派経済学の古い教科書には、「預金が貸出の源泉である」と書かれていましたが、これは誤りです。
正しくは、貸出こそが預金の源泉です。
政府支出も同じです。
支出が先であり、税収は後です。
財源があるから支出するのではなく、支出するから貨幣が創造される!
つまり、「減税には財源が必要だ」とは、「預金がなければ銀行は貸せない」と主張しているも同然です。
もちろん、インフレ率や資源の賦存量が制約になります。
過度な支出(貨幣発行)は物価上昇を招きかねませんので。
しかし、現在の日本は、コストプッシュ型インフレにあり、実質賃金は低迷し、経済の基礎体力は落ち込んでいます。
そうした状況で、国民の生活コストを下げる減税措置に対して「財源が不足する」と制限をかけるのは、火を消すための水が足りないと嘆きながら、自ら蛇口を締めているような愚行です。
政府は企業でもなく、国家は家庭でもありません。
政府とは「通貨の供給主体」であり、借金を完済する必要も、支出に先立って資金を蓄える必要もないのです。
この事実に目を背け、帳簿上の均衡を追いかけるばかりでは、国民経済の活力はますます奪われていくことになります。
いま必要なのは、「減税のための財源」ではありません。
必要なのは、経済の現実と貨幣の本質に基づいた政策転換です。