8月1日は「夏の省エネルギー総点検の日」です。
これは1990年(平成2年)、資源エネルギー庁によって制定された記念日で、8月下旬に記録されやすい瞬間最大電力への備えとして、月初に位置づけられました。
全国各地で、省エネ意識を高めるための啓発イベントが行われるこの日。エアコンの冷やしすぎを控え、適切な室温管理や省エネ家電の活用が呼びかけられます。
「省エネ」と聞くと、つい電気代の節約や環境への配慮といったイメージが先に立つかもしれません。
もちろん、それも大切な目的です。
ですが、もしそれだけではないとしたら──たとえば、「省エネ」が国家の安全保障にも深く関わっているとしたら、どうでしょうか。
私たちの日々の暮らし、経済活動、そして社会全体の機能は、物理的には「電気」によって支えられています。
水道も、ガスも、電気がなければ供給されません。スマートフォン、パソコン、エレベーター、電車、医療機器、工場の機械、防衛装備。
私たちが日常的に依存しているあらゆるものが、電力というインフラを前提として成り立っているのです。
ある女子学生が「電気ってコンセントから来るんでしょ?」と答えたという話があります。
たしかに、私たちの実感としてはそうでしょう。プラグを差せば電気は使える。それが日常です。
しかし、少し視野を広げてみると、私たちの使う電気は遥か遠くから、複雑な経路を経て届いていることに気づきます。
とくに日本では、電気をつくるためのエネルギー資源の多くを海外に依存しています。
なかでも中東地域からの原油が占める割合は極めて高く、2021年度には全輸入量の92.5%が中東からのものでした。
つまり、「私たちの電気はどこから来ているのか?」という問いに、現実的に答えるならば、「中東の砂漠の地下から来ている」と言わざるを得ないのです。
原油はタンカーで2週間以上かけて日本に運ばれ、精製されたのち、発電所で燃やされ、その蒸気でタービンを回すことによって、ようやく電気が生み出されます。
それが送電網を通じて、はじめて私たちの手元のコンセントに届くのです。
しかし、近年の国際情勢を見れば、この電力の背後に潜む不安定さも浮き彫りになってきます。
2022年のロシア・ウクライナ戦争、2023年のイスラエル・ハマス紛争など、エネルギー供給を脅かす地政学的なリスクが高まっています。
仮に中東情勢がさらに悪化し、ホルムズ海峡やマンデブ海峡といった海上輸送の要衝が封鎖されれば、原油供給は大きく揺らぎます。
そして、原油に依存する日本の電力供給もまた、例外ではありません。
再生可能エネルギーへの期待が寄せられてはいますが、その限界も現実として存在します。
アメリカのシェール革命が変えたパワーバランス、ロシアの天然ガスを巡る欧州の脆弱性、電気自動車の急拡大によって資源確保に熱を上げる中国──世界は今、エネルギーを巡る新たな戦略的攻防のまっただなかにあります。
化石燃料を使った発電は依然として高水準で、再生可能エネルギーはそれを代替するというより、追加される形で使われているのが実情です。
グローバル・サウスの国々では、「脱炭素化」以前に、そもそも「炭素化」、すなわち電力インフラの導入そのものが喫緊の課題です。
さらに、再エネ転換に必要なリチウム、コバルト、ニッケル、銅などの鉱物資源は、一部の国に偏在しており、国際的な資源リスクが新たな形で露呈しつつあります。
インドネシアが世界のニッケルの約3割を、コンゴ民主共和国がコバルトの約7割を生産する現状は、その象徴的な例です。
こうして見てくると、電力の安定供給をめぐる課題は、もはや一企業や一家庭の努力では解決できない、国家戦略上の最重要事項であることがわかります。
そしてその一方で、私たち一人ひとりの「省エネ」という日常的な行動が、需給バランスの安定やリスク軽減に資することもまた事実です。
つまり、省エネとは単に電気代の節約ではなく、エネルギー安全保障における私たちの第一歩なのかもしれません。
中東の砂漠に揺らぐ一滴の油が、やがて日本の暮らしを左右する可能性があるとするなら、いま目の前のコンセントをどう使うか、ということが意外にも重大な意味を持っているのではないでしょうか。
だからこそ、あえて申し上げたいのです。
もしかすると、省エネも安全保障の一つかもしれない──と。