2020年7月に熊本県を襲った豪雨は、球磨川流域に甚大な被害をもたらしました。
球磨村では特別養護老人ホームが水没し14名が命を落とすなど、熊本県全体で55名が死亡、9名が行方不明となりました。
人吉市では市街地が広く水没し、芦北町では土砂崩れが発生して住宅が巻き込まれるなど、惨状は広範囲に及びました。
このような被害の背景には、球磨川という河川の特性がありました。
球磨川は多くの支流を持ち、川幅が狭く流れも速い、「日本三大急流」の一つに数えられる河川です。
そのため、豪雨時には極めて高い確率で氾濫する「暴れ川」と化します。
実際、この災害では複数箇所で氾濫や決壊が確認されました。
このようなリスクは河川技術者たちにとって既知のものであり、早くから「川辺川ダム」の建設が、現実的かつ最も有効な治水対策として提案されてきました。
特に氾濫が最も起きやすいとされた人吉地域では、川の流量を43%削減する必要があると試算されており、そのための現実的手段はダム建設しかなかったのです。
川辺川ダム事業は1966年に着手され、2008年時点では用地取得や事業準備などが概ね7割まで進んでいました。
しかし時代は「コンクリートから人へ」というスローガンのもと、公共事業とくにダム事業への逆風が吹き荒れていました。
そうした風潮のなか、熊本県知事の蒲島郁夫氏は建設反対を表明し、民主党政権下で事業は中止に追い込まれました。
結果として、流域住民の命と財産を守るための最後の砦が失われ、12年もの間、抜本的な治水対策は何一つ進まぬまま、2020年の大水害を迎えることになったのです。
当時、川辺川ダムは「西の無駄」の象徴とされ、「東の八ッ場、西の川辺川」というレッテルが貼られました。
しかしその八ッ場ダムは再び建設が進められ、2019年10月の台風19号では首都圏を襲った洪水の危機から関東を守る決定的な役割を果たしました。
これに対し川辺川ダムは中止されたまま、何の代替策も講じられませんでした。
放水路には8,200億円、45年が必要とされ、遊水池に至っては1.2兆円、100年がかかると見積もられています。
もはや現実的とは言えません。
つまり、ダムを中止した時点で、あの水害はほぼ「不可避」だったのです。
技術的知見よりも、その時々の「空気」に流された政治判断が、いかに破滅的な結果を招くか、球磨川水害はその典型であったと言えるでしょう。
日本列島は、地形的にも気象的にも災害に対して極めて脆弱な国土です。
急峻な地形、短く急流な河川、偏った雨季、大規模な台風、豪雪、さらには地震・津波まで抱えています。
それでも我が国は、先人たちの不断の「国土への働きかけ」によって繁栄の基礎を築いてきました。
利根川の東遷、隅田川の堤防、江戸の治水、そして現代の彩湖、いずれも自然を前に人間が無力であることを認識した上で、「水位を下げる」という治水の原則に忠実な努力の積み重ねでした。
そうした努力を「無駄」と切り捨て、財政均衡の名のもとにインフラ整備を怠れば、私たちはまた命と街を失うことになります。
川辺川ダムの問題は、単なる一地域の治水計画の失敗ではありません。
これは、我が国全体にとって、「技術」か「空気」か、「持続的なインフラ整備」か「短期的な財政優先」かを問う、国家的な選択の象徴なのです。
政治に携わる者には、次なる豪雨で命が奪われるその前に、真に必要な決断を下す責務があります。
いかに深い後悔を抱こうとも、失われた命は、決して戻ってはこないのです。