「国家防衛戦略」と脅威対抗論の罠

「国家防衛戦略」と脅威対抗論の罠

令和4年に閣議決定された『国家防衛戦略』は、「防衛計画の大綱(平成31年3月29日閣議決定)」、いわゆる30大綱に代わる政策文書です。

当該戦略は「防衛力の抜本的強化」「国全体の防衛体制の強化」「同盟・同志国との協力」の三本柱を主眼としています。

この中では、たとえば2022年のロシアによるウクライナ侵攻や中国・北朝鮮の軍事的動向を受け、「力による一方的な現状変更を許さない」ための抑止力構築が重視され、特にスタンド・オフ防衛、統合防空ミサイル防衛、無人アセット、領域横断作戦、指揮統制・情報機能、機動展開・国民保護、持続性・強靱性の7つの能力が重視され、整備目標として位置づけられています。

国家防衛戦略では、中国・北朝鮮・ロシアを仮想敵として明確に位置づけ、能力強化による抑止力構築を打ち出しており、基盤的防衛力構想とは明確に距離を取っています。

特にスタンド・オフ能力や反撃能力の明記は、攻撃的性格への転換と受け取られる懸念があり、「脅威対抗論」に基づいた方向への舵切りと評価されます。

加えて、迎撃ミサイルの技術的・戦術的制約(極超音速兵器による突破や、飽和攻撃による防衛網の崩壊など)への十分な検討や、それに対する対案(民防や避難強化・市民保護策)の強調が薄く、「戦略との整合」が甘い印象をもちます。

当該戦略では、「機動展開・国民保護」「持続性・強靱性」が戦略上は項目に含まれてはいるものの、これは「防衛力強化」向けの要件に徹しており、民間主体の避難体制や防空シェルター整備、教育訓練など市民防護構造の強化にまでは踏み込んでいません。

私が提唱する民防(シビル・ディフェンス)を防衛構造の柱とする視座は、戦略文書にも触れられてはいますが、その具体化や優先順位づけはなお不十分であり、実質的に後回しにされていると言えます。

また、当該戦略は、憲法上の判断を踏まえつつ、限定的な反撃能力(スタンド・オフ能力)を自衛の範囲として明記しています。

しかしこれはまさに「脅威対抗型」の構造であり、「脅威対抗論の罠」にはまり込むおそれがあり、国民的合意や哲学的整合の前提を欠いたまま政策が先行している点は、極めて危うい傾向といえます。

要するに、仮想敵を定めない防衛理念との乖離があり、基盤的防衛力構想から離脱し、明示的に特定国家への対抗型構造を採用しています。

ミサイル迎撃における制約や不確実性への対応も不十分であり、過度に楽観的な防衛観が戦略全体に滲んでいるように見受けられます。

国民防護を語る一方で、シェルター整備や防災教育などの政策提起は表層的で、民防・市民保護の抜本的強化が弱いと言わざるを得ません。

核戦略的選択肢を排除しない構造は、脅威対抗論の延長線上にあり、戦略的リスクを伴うおそれがあります。

以上を踏まえると、令和4年の『国家防衛戦略』は現在の安全保障環境への現実的対応と位置づけられる一方で、「戦略に基づく抑制と準備」である基盤的防衛力への回帰と整合しているとは言い難いものです。

仮想敵を前提に据えた構造は、将来的な軍拡競争や抑止のジレンマを助長するリスクを孕んでおり、むしろ外交、民防、そして国家戦略における哲学的整合と連動した、慎重かつ総合的な安全保障構築こそが求められるのではないでしょうか。