世界は今、先進国、途上国を問わず、格差や長期停滞などの社会経済問題に直面しています。
なかでも、わが国の格差と停滞は深刻さを増して酷い。
とりわけ、コロナ以降の実質賃金はコストプッシュ・インフレ(一部はサプライロス・インフレ)によって大幅に低迷しており、「きまって支給する給与」は39か月連続でマイナスを記録しています。
何度でも言いますが、実質賃金の低迷とは即ち「国民の貧困化」を意味します。
にもかかわらず、財務省の言いなり内閣と化した石破内閣は、なんら有効的な対処策を示すことも実行することもできないままでいます。
本来であれば、野党が内閣不信任案を早急に提出すべき事態ですが、このまま石破内閣下で参議院選挙を戦いたいものだから、野党は内閣不信任案を提出する気などさらさらない。
コストプッシュであれ、サプライロスであれ、これらは1990年代より進めてきたグローバリズム(ネオリベラリズム)に基づく「構造改革」がもたらした弊害です。
また、世界中の国々がグローバリズムの名の下に程度の差こそあれ政府の役割を小さくし、ただただ効率化のみを追求して国境を越えた資本の移動を最大化させたのですから、当然のことながら災害、疫病、気候変動などの危機に対して極めて脆弱な世の中になってしまったのです。
残念ながら日本は、グローバリズム(ネオリベラリズム)に基づく「構造改革」を最も過激かつ急進的に行った国の一つです。
その結果、例えば低賃金の非正規社員に追いやられた若者たちは、いわゆる「底辺への競争」を強いられ、正規社員との所得格差が拡大していきました。
さらには、過度な株主資本主義を追求していった結果、労働所得で稼ぐヒトと資産所得で稼ぐヒトとの格差も拡大していきました。
格差の拡大が、国家や社会の分断を招くことは言うまでも在りません。
緊縮財政(これも構造改革の一つ)がデフレを長期化させ国内の供給能力を毀損させてしまったのみならず、公共事業費の抑制によってわが国のインフラが既にボロボロになっていることは、先日、埼玉県で発生した陥没事故の一件を見ただけでも明らかでしょう。
しかしながら、その構造改革(緊縮財政)を熱狂的に支持してきたのは日本国民です。
構造改革と緊縮財政を最も過激に行った小泉純一郎氏などは、なぜか未だに国民人気が高いらしい。
これらのことは、日本の理性的判断なるものがいかに愚かで危ういものであるかの象徴です。
さて、分裂と混乱の中から誕生したトランプ米政権が、いまや世界経済を報復的な貿易政策の応酬という事態に陥れつつあります。
これにより、グローバリズムは完全に終焉したと言っていい。
グローバリズムに代わる新たな国際経済秩序とは、はたしていかなるものなのでしょうか。
ニューヨーク市立大学のブランコ・ミラノビッチ教授は、「いかなる国際経済秩序も“不平等で分裂した主権”で構成される不安定な基盤の上に成り立っている」と指摘しています。
氏によれば、「表向きは対等な加盟国により構成された国連においても、イギリス、フランスという戦勝国とその傍らにいた米国は、自国に弱小の加盟国と同じルールが適用されるとは考えてもいなかった」という。
その一方、敗戦国である日本などは米国の属国と化され国連に放り込まれたものの国際社会に対する主体的な影響力など無かったも同然ですし、アフリカ諸国や欧米の植民地などはそのヒエラルヒーの最底辺に位置づけられ、同様の序列は今もなお続いています。
IMFや世界銀行は、例えば韓国などのように金融危機に陥った国への融資の見返りに「構造改革」を強要し、加盟国の主権を日常的に侵害してグローバリズム経済の奴隷にしてきました。
ある国では、国内に出現した強力な政治集団が自らの求める政策を定着させるために、国際条約を結んでまで自国の主権を削り取っているケースもあります。
なるほど、国際経済秩序なるものが常に「主権及び主権の平等を尊重する」と期待するのは、確かに中二病的です。
ゆえに、外交政策であろうと、経済政策であろうと、政治における政策実践は常に理性を疑い、綺麗事に惑わされることなく現実を現実のままに捉えて熟議と判断が為され、判断されてもなおその実践は漸次的に遂行されるものでなければならない。
それこそが真の保守主義というものです。