本日は11月23日です。
戦後、11月23日はGHQにより勤労感謝の日(祝日)とされましたが、もともとは宮中及び全国の神社で新嘗祭が斎行される日です。
今日も宮中では新嘗祭が行われます。
言わずもがな新嘗祭は、新穀(おコメ)の収穫を感謝し、神威を蒙る稲米儀礼の代表的祭祀であり、その起源は稲作開始の頃まで遡ります。
私たち日本国民にとっておコメは歴史と文化に深く根付いた存在ですが、江戸時代のようにおコメが経済上の価値をもった時代もありました。
例えば、現在の公務員にあたる江戸時代の武士の給与は「おコメ」でした。
ところが、この時代は商品経済(貨幣経済)の発達ともにおコメの相対的価値が下がったこともあって、生活の困窮から借金付けになってしまった武士も少なくありません。
米価安諸色高(諸物価の上昇率に米価の上昇率が追いつかない状態)は、元禄期以降の幕府の悩みの種となりました。
8第将軍となり「享保の改革」を進めた徳川吉宗は「コメ将軍」と呼ばれたほどに、米価安定に取り組んだ将軍として有名です。
しかし、吉宗が行った「享保の改革」は、ただの緊縮財政政策でしかなかったために、元禄バブル崩壊以降にデフレに突入した江戸経済は吉宗の改革によって益々もってデフレ化します。
通貨発行権をもつ幕府のみならず、吉宗は庶民(民間部門)にまで緊縮財政を押し付けたのですから尚更です。
残念ながら、江戸時代はついに幕末までデフレ経済が続きます。
おコメの値段が上がったのは、飢饉が発生したときぐらいのものでしょう。
このことから、ペリー来航以前より、既に庶民の幕府政治への不満は溜まっていたものと推察されます。
実は元禄期に荻原重秀という優秀な幕府官僚がいました。
彼は今で言う「MMT」(現代貨幣理論)を概ね理解していた人で、「おカネを金銀でつくる必要などなく、幕府が認めさえすれば瓦礫をもっておカネに変えても良い」とまで言った聡明な経済官僚です。
「瓦礫をもって貨幣にするもよし」
これこそMMTの根幹を成す「表券主義」です。
この荻原重秀が主張する「表券主義」に真っ向から異を唱えたのが新井白石という学者官僚で、彼は「おカネは金銀などの貴金属でなければならない」と考える「金属主義」者でした。
現在でもそうですが、金属主義者は「金銀の賦存量には限りがあるのだから、政府(幕府)の通貨発行量にも限りがある」と考えます。
三橋貴明先生の言う「貨幣のプール論」ですね。
荻原重秀などMMT派は「インフレ率が許すかぎり、政府(幕府)の通貨発行量に上限はない」と考えるのですが、悲しいかな、いつの時代でも、常に「貨幣のプール論」派が政治的には優位な立場にあります。
今の日本でも、おそらくは圧倒的多数の人々が「金属主義」を支持しているものと思われますし、財務省が垂れ流す「財政破綻論」が依然として世を支配しているのは周知のとおりです。
さて、おコメの話に戻りますが、今年は夏頃から国内での不足が問題となり、店頭ではコメの棚が空になる様子もみられました。
不足となった要因には、前年の猛暑での不作、自然災害に対する備蓄意識、外食・インバウンド消費の盛り返しがあり、あるいは日々報じられたコメ不足のニュース等からの不安感により生じた「買いだめ」もその一つだったでしょう。
しかし何よりも、減反政策によって国内の生産能力を弱体化させてきたことが大きい。
戦後、コメから小麦への消費シフトが進んだ上に、減反政策なる農政の愚策により、すなわち政府が人為的に国内の生産能力を抑制してきたことにより、我が国の食料安全保障の中核を成す「おコメ」が不足してしまったのです。
減反政策は、むろん緊縮財政の一環です。
本来、日本政府は諸外国がそうしているように、①おコメの価格補償をするか、②農家の所得補償をするかのどちらかを行うべきなのですが、①にしても、②にしても、いずれも財政支出の拡大が必要になります。
そんなこと、金属主義(緊縮財政主義)の財務省が許さない。
経済政策を担う政治家や官僚にとって、「貨幣観」がいかに大切なものであるのかがお解り頂けるのではないでしょうか。