情緒的平和論は安全保障議論の妨げ

情緒的平和論は安全保障議論の妨げ

日本人で初めてノーベル平和賞を受賞したのは、ご存知のとおり佐藤栄作元首相です。

佐藤元首相にノーベル平和賞をもたらしたのは、例の「持たず、作らず、持ち込ませず」でお馴染みの“非核三原則”でした。

実は後に、ノーベル委員会が刊行した本の著者が「佐藤氏を選んだ事はノーベル委員会が犯した最大の誤りだ」と批判しています。

なぜなら、佐藤元首相は生粋の「核武装論者」だったからです。

とはいえ、オバマ米大統領だってもらえるようなイイカゲンな賞なんだから、べつに佐藤元首相がもらったっていいと思うのだが。

当時の佐藤元首相が水面下で日本の核武装構想を進めていたことは確かです。

氏は「中国が核兵器を持つならば日本も持つべきだ…」「原爆を少数製造することは可能だ…」「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する…」と述べていたことが各国の機密文書から明らかになっています。

表向きには「核兵器廃絶」を主張しつつも、水面下では実にしたたかに核兵器の保有を模索していたわけです。

そういえば、NPT(核兵器不拡散条約)が発効したのは1970年3月ですが、日本がNPTを批准したのはその6年後の1976年6月のことでした。

批准するまでに6年を要したのは、1965年に中国が核兵器を保有したからです。

中国が日本に向けて核兵器を配備しているなかで「不拡散」なんて言ってられるか、ということだったのでしょう。

すなわち、あの時代の日本政府は今よりまともに安全保障のことを考えていたということです。

川崎市などは、1982年に全国に先駆けて「核兵器廃絶都市宣言」を議決し、それによって平和がもたらされる、などと今なお本気で信じている程度ですから実に恥ずかしい。

さて、日本の核武装論を最も警戒した国は、むろん米国です。

国際法的には各国に報復権が認められているため「やがて日本が米国に牙をむいて、広島と長崎の報復として核を落とすかもしれない…」という恐怖心が常に彼らの根底にはあるのです。

また、日中に触発されて周辺国も核兵器を持とうとする負の連鎖が起きる恐れもありました。

米国は同じような問題を欧州でも抱えていました。

第二次世界大戦後の10年間は、米国はソ連の核脅威に対抗するべくNATO(北大西洋条約機構)加盟国に米国の核を配備することでいわゆる「核の傘」を保障し、NATO加盟国は米国による核の傘をある程度信頼していました。

なぜなら、米国はソ連よりも地理的に有意な立場にあったからです。

当時、唯一の核兵器運搬手段であった爆撃機はソ連領内と米国本土を往復できるほど航続距離が長くなく、空中給油もまだ実験がはじまったころでした。

よって米国は欧州内の基地からソ連本土に核攻撃できても、ソ連が米国本土を核攻撃することはできませんでした。

この前提に基づいて米国は自らの安全を心配することなくソ連に報復することが可能だったのです。

ところが、この前提は大陸間弾道弾(ICBM)の登場によって崩れます。

ソ連は1957年に人類初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功し、同時にICBMで米国本土を核攻撃する能力も手に入れました。

爆撃機とは異なりICBMは数十分で米国本土に到達するうえに迎撃はほぼ不可能なため、米国としてはソ連への報復には本土を犠牲にする覚悟をしなければならなくなったわけです。

これによってNATO加盟国は、米国の核の傘に疑念を持つようになりました。

フランスのシャルル・ド・ゴール大統領は米国のアイゼンハワー大統領への書簡の中で「将来の貴国大統領は、ベルリン、ブリュッセル、パリのために米国の都市を壊滅の危機に晒す覚悟があるだろうか?」と綴り、実際にフランスは1960年に核保有に踏み切りました。

当時、フランスよりも核武装する可能性が高かったのは西ドイツでした。

なぜなら西ドイツは、地理的に東側陣営と直接的に接しており、核攻撃を受けるとすれば最初の標的になる可能性が高かったからです。

西ドイツ政府内ではこの問題が活発に議論され、例えばアデナウアー首相は米国のダレス国務長官に次のように述べています。

「ドイツは米国への信頼を失った。米駐留軍の通常戦力削減の計画は、米国がソ連の軍拡に対応するつもりがない何よりの証拠だ。米国がこれらの計画を断固として取り下げなければ、政治的結末はすぐに表れるだろう」

当時、米国は欧州の通常戦力を減らすことを検討しており、西ドイツがそれに反対するために核武装をちらつかせたわけです。

1957年にはフランス、イタリア、西ドイツが共同で核開発をすることに合意したほどです。

仮に西ドイツが核を保有した場合にはソ連を刺激したのは必定で、もしも両国が核の打ち合いに発展すれば米国が巻き込まれるのも必然でした。

そこで米国は、NATO加盟国の間でこれ以上の核武装論が拡がるのを防ぐべく「核共有(核シェアリング)制度」を設け、当事国に核共有の余地を与えることで問題を沈静化させました。

昨今、このNATO核シェアリングを日本も真似するべきだ、という意見が出ていますが、おそらくはNATO核シェアリングの実体を理解していない人たちの安易な提案かと思われます。

もともとNATO核シェアリングは、ソ連(ロシア)の大戦車部隊が西進してきたとき、それを阻止できるのが戦闘機からの核爆弾投下しかなく、在欧米空軍だけでは戦闘機数が足りないために、米軍がNATO諸国に乗員付き戦闘機借用を依頼するものです。

しかも弾薬庫の鍵はダブルキーで米軍が開けないかぎり、ドイツやイタリアやベルギー等が勝手に使うことなどできません。

要するに、例えばスウェーデンが勝手に米国の核(ICBM)をロシアに打ち込めるわけではないのでございます。

そのような裁量を米国が日本に与えるわけもない。

何より現在の我が国において最大の問題は、核保有についての議論すらまともにできないことです。

核を保有することのメリットとデメリット、また保有しないことのメリットとデメリットを、それぞれ客観的事実を積み上げて議論することが必要です。

情緒的平和論によって、議論さえ封じられてしまうことはあってはならない。