多文化共生の課題

多文化共生の課題

本日は、『令和6年 第1回 川崎市議会定例会』の最終日です。

一般会計予算案など、会期中に審議した様々な議案が採決されます。

そのほか、各会派から地方自治法99条に基づく「(国への)意見書案」が上程される見通しです。

私も無所属の議員の皆さんとともに、意見書案と決議案を一つずつ上程します。

まず意見書案は、国に対して「⼤阪・関⻄万博の開催時期や会場の追加を含めた開催手法の⾒直しを求める意⾒書」です。

この意見書の趣旨は、我が国ではもともと全国的に建設関連の供給能力が制約されていたなかで能登半島地震が発生したことを受け、被災地の速やかなる復旧・復興と万博の成功とを両立させるための提案です。

私たち提案者を代表して、同僚議員の月本琢也議員(無所属)から提案理由の説明をして頂く予定です。

一方、決議案の方は、例の先日(令和6年3月11日)の文教委員会において、中村茂・市民文化局長が「市民の総意で進めてきた多文化共生施策にとって、外国人地方参政権は望ましいものだ」と答弁した問題です。

当該決議案については、不肖・わたくし三宅隆介が提案理由の説明をさせて頂く予定です。

むろん、決議案の趣旨は、本市の『多文化共生社会推進指針』における、在住外国人の地方参政権の付与に関する記載内容を修正するよう強く求めるものです。

言うまでもなく、参政権は現行憲法でも明確に保障されている国民固有の権利です。

日本国民たる川崎市民の代表者として、私は断固としてこれを守り抜く所存です。

そもそも、社会参加と政治参加(参政権)をごちゃ混ぜにしている中村茂・市民文化局長の答弁はおかしい。

また、中村茂・市民文化局長は同日の文教委員会において「多文化共生の行政は議会を含めた市民の総意として進めてきた」とも答弁しました。

いつも言うように、行政に携わる者が「総意」という言葉を軽々に使用するのは極めて危険なことです。

少なくとも本市議会には「外国人地方参政権」について反対している議員がおりますので、市民文化局長の発言は、それらの議員を支持している市民、あるいは投票に行かなかった市民は「川崎市民ではない」と言っているのにも等しい。

これは、自己に賛同しない市民とその意思を一顧だにしないという横暴な認識と言っていい。

ところで、移民を急激に受け入れたヨーロッパでは、様々な社会問題が生じているのは周知のとおりです。

もともと世界には様々な民主主義がありますが、国民共同体単位、あるいは地域共同体単位ごとにそれぞれの民主主義が存在しており、世界民主主義というものは存在していません。

なぜなら、国民共同体なり地域共同体が、同じ価値観を共有しているからです。

そうした暗黙の共通理解が文化という形であらかじめ存在し、互いに議論しながら暗黙の共通理解を探し出していき、それが明示化されたときに、いわゆる「コンセンサス」が生まれるわけです。

ところが、多文化主義があまり行き過ぎた世界では、議論の前提となる価値観が共有されていないため、民主政治を試みても合意に達しようがない。

むしろ、社会は分断に向かうことになります。

「多文化共生」というのは簡単ですが、暗黙の共通理解がないかぎり、合意に達することはなかなかに難しいのでございます。