脅威は国民を選別しない

脅威は国民を選別しない

能登半島地震から明日(8日)で一週間が立ちますが、きのう(6日)の夜(午後11時20分ごろ)にも、能登半島沖を震源とする地震があったようで、石川県志賀町で震度6弱の揺れを観測したらしい。

気象庁によれば震源の深さは5キロで、地震の規模を示すマグニチュードは4.3と推定されています。

しばらくは、こうした大きな余震が続くのでしょうか。

さて、メディアらは、あるいは大抵の議員もそうですが、こうした大震災が発生するたびに「あなたのご家庭は震災への備えはできていますか…」などと問うわけですが、個人や家計でできる備えには限界があります。

だからこそ、政治・行政というものが存在しています。

しかしながら1990年代以降の我が国では、「公共事業は一部の土建屋の懐を潤すだけ…」という論調が幅を利かせて公共事業(インフラ整備)が否定され続けてきました。

とりわけ1995年以降は「日本は国の借金で破綻する…」という政治的喧伝が加わり、それが今も魔物のように世間に取り憑き、いわゆる「財政均衡主義」によって非常事態に備える予算までもが「無駄」扱いされ、切り捨てられています。

公共投資は1996年のピーク時の半分にまで減らされ、公務員も削減されました。

しかも、国民の安全を守る職種についてまでもが非正規雇用に切り替えられている有り様です。

愚かにも「身を切る改革」の名のもとに、政治行政自身が国民を守るための「力」を削ぎ落としてしまったのです。

もっとも、日本国内で公共投資の削減、公務員数の削減を熱狂的に支持してきたのは日本国民自身でもあります。

石川県においても、建設業許可業者数がこの20年間で25%も減らされています。

手前味噌ではありますが、川崎市議会において「財政破綻の嘘」と「公務員数の少なさ」を指摘し、公共事業(インフラ整備)の重要性を訴えてきたのは私ぐらいのものでした。

一方、世の多くの人たちは、デフレ下にあるにもかかわらず悪戯にルサンチマン(鬱屈とした不満)を煽り、公務員と建設業者を叩き続けました。

あの東日本大震災を経てもなお、「非常時に誰が自分を助けてくれるのか!」を考えようともしなかった人たちは少なくありません。

安全保障とは実に皮肉なもので、脅威は国民を選別してくれません。

公共事業や公務員の削減を訴え続けてきた者だけに天災が及ぶわけではないのでございます。

国防(自衛隊の存在など)を否定する人たちだけに爆弾が落ちてくるわけではないのと同じように。

何度でも言います。

我が国は、自然災害大国です。

大地震や津波、台風、水害、豪雪、土砂災害が頻発するのに加え、火山災害をも常に心配しなければならない国民なのです。

なのに我が国は、愚かにも公共事業費(インフラ整備費)を減らし続けてきたのです。

公務員数がOECD諸国のなかでも少ない国であるにもかかわらず、災害時に働いてくれる公務員を減らし続けてきたのです。