「現行憲法」成立過程の真実

「現行憲法」成立過程の真実

スタンフォード大学のフーヴァー研究所に西鋭夫教授という、GHQの占領統治研究の世界的権威がおられます。

西鋭夫教授は、今から4年前にスタンフォード大学の公文書館で極めて重要な資料を発見されました。

その資料とは敗戦後に日本から密かに持ち出された膨大な極秘資料であり、そこには40年以上にもわたって研究を続けてこられた西鋭夫教授でさえ、はじめて目にする「日本国憲法」に関する驚くべ記述がありありました。

なんと、GHQが彼らの憲法草案を吉田茂外相に渡したときの克明な会話記録だったのです。

それはそれは、実に興味深いものです。

GHQ側から日本側にはじめてGHQ製の憲法草案が提出されたのは1946(昭和21)年2月13日とのことです。

午前10時から、ときの外務大臣官邸でGHQとの憲法制定に関する交渉会議は開かれました。

むろん会議は秘密会議で、日本側の出席者は、外務大臣の吉田茂、そして吉田茂の側近である白洲次郎と国務大臣で法学博士の松本烝治、それに通訳を含めた計4人。

GHQ側はマッカーサーの右腕とも言われたホイットニー(GHQ民政局長)と、ほか部下3名。

会議時間は約70分だったとか。

会議がはじまると、ホイットニーは予め提出されていた松本草案に対し、まるで死刑宣告でも課すかのように次のように意見を述べはじめます。

「先日、あなた方が提出した憲法草案(松本草案)を受け入れることは絶対できない。しかしマッカーサー元帥は専制支配の悪政に苦しんできた日本国民を守るべく、自由で開放的な憲法が国民のために必要不可欠だと深く認識されておられる。本日、あなた方に提示する草案(GDP草案)は、元帥が日本の現状を憂い、日本を民主主義国家へと導くために必要な諸原理を具体化し、元帥自身が承認された文章である。あなた方が今からこの草案を検討できるよう、私と部下は一時退席させて頂く」

と言って、10時10分ごろ、ホイットニーと部下3名は部屋を出ます。

日本側がGHQ草案を読み、討議を終えたころを見計らって、ホイットニーらは部屋に戻ります。

それが10時40分ごろだとか。

席についたホイットニーに対し、松本烝治が次のように話を切り出します。

「草案の内容は理解したが、自分のとはまったく違うため、幣原首相にこのGHQ草案を見せた後でなければ何も発言できない」

資料によれば、そのときの吉田茂の表情は真っ暗で険しかったという。

白洲次郎は鉛筆でメモを書き留めているだけで、会談を通じて2言、3言ほどしか言葉を発しなかったらしい。

ホイットニーは「このGHQ草案に基づいて憲法改正を確実に行うことが元帥の希望であり決意である」と言って、再度の念押し。

念押しというか、ゴリ押し。

というのも、ホイットニーは続けて次のように述べているからです。

「天皇を戦犯として軍事裁判にかけよ、と他国からの圧力は高まっている。あなた方がご存知だったかどうかは知りませんが、元帥はこれまで天皇を擁護してきた。なぜなら、元帥は天皇を守ることが正義だと考えておられ、今後も力の及ぶ限りそうされるでしょう。しかし皆さん、元帥といえども神のように万能ではない。元帥は日本がこの新憲法を受け入れるのなら、天皇に誰も手が出せないよう全力を尽くすでしょう。ただし、もちろん元帥はこれをあなた方に押し付けてはいません。あなた方がこのGHQ草案を受け入れ、急速に左翼化するならば、その地位と権威は元帥により保証される。しかし、今までのように極右のままだと、あなた方の政治生命は終わる。はっきり言って、この憲法草案を受け入れることが、あなた方が生き残る唯一の望みであるという現実を忘れないでほしい。これからどのような草案が日本側から出てこようとも、このGHQ草案に盛り込まれた基本原則が書き込まれていなければ元帥が承認することは絶対にない」

ゴリ押しというより、脅しですね。

その上でホイットニーは、「このGHQ草案を日本語でどのように国民に提示するか、次の会談まで準備を整えておくように」と伝えました。

会談の最後に吉田茂がホイットニーに対し「この案件は極秘にしてもらいたい…」と願い出ました。

するとホイットニーは「吉田外相、これまでも秘密が守られてきたように、これからも守られるでしょう。内密にしておくことは元帥のためでなく、あなた方にとっても好都合であり、あなた方のためでもあるんですよ」と言ったとのこと。

そして11時10分、70分間の会談を終えてホイットニー主従は外務大臣官邸を後にしました。

こうして新憲法は、まるで日本人の手で書かれたかのように発表されるかたちで、1947(昭和22)年5月3日に施行されたのでございます。

以上のとおり西鋭夫教授の業績のお陰により、私たち日本国民は現行憲法の成立過程の真実をみることができました。

よく、戦後の反日左翼主義者たちは「憲法9条に戦争放棄を盛り込んでくれ、と幣原首相がGHQに要望したのだ」と主張していますが、その説は今回の西鋭夫教授の業績によって完全に否定されたことになります。

さらに西鋭夫教授は、なお重大な発見をされています。

GHQによる憲法草案は、その原本が5通存在していました。

それら5通の行き先が実に興味深いところで、西鋭夫教授によれば、まず原本二通はマッカーサーへ、一通はホイットニーへ、もう一通はフーヴァー研究所に原本を寄贈したラウエル中佐へ渡されたそうです。

そして残りの一通は?

驚くなかれ、なんと吉田茂外相です。

つまり、秘密会談の場で激しく動揺した様子を見せていた吉田茂は、事前にGHQの憲法草案を読んでいたのです。

吉田茂は全てを把握していながら、同席した松本烝治にも、あるいは白洲次郎にも、そのことは秘密にしていたのです。

因みに、吉田茂がCIAのエイジェントであったことは既に明らかになっています。

そのコードネームは「POCHI69」です。

このようにして吉田茂はGHQとCIAの全面的なバックアップを受けて総理大臣にまで上り詰めることができたわけです。

けっして学校では教えてくれない真実です。