財政規律で平和は創出されない

財政規律で平和は創出されない

防衛費や少子化対策ほか、新たな行政需要に対応するため、岸田内閣はその財源確保に必死ですが、継続的に安定財源を確保するには詰まるところ次の三つの手段しかありません。

手段A:増税(国民の懐から貨幣を毟り取る)
手段B:歳出改革(他の予算を削って、新たな事業に充てる)
手段C:国債発行(新たな貨幣を発行する)

Aは、政府による国民経済からの貨幣召し上げですので、名目GDPを着実に減らします。

Bは、新たな事業に予算を当てつつも、他の予算を削っているので国民経済の貨幣量は増えません。

唯一、手段Cだけが国民経済への貨幣供給であり、着実に名目GDPを増やします。

「デフレ」と「コストプッシュ・インフレ」が併存している我が国経済においては、国債発行による財政支出の拡大を選択するほかない。

ところが、例によって日本国内には国債発行を拒む意見が根強い。

とりわけ、朝日新聞は2022年12月15日の朝刊「社説」で、国債を発行して防衛費の財源に充てることに強く反対しています。

反対する理由は「いったんそれを認めれば歯止めない軍拡の道を開くことになる…」からだそうです。

つまり、国債の発行は戦争への道をひらくものだ、と言っているわけです。

もっとも、このような貨幣観や歴史観は朝日新聞に限ったものではありません。

巷では広く信じ語られているところでございます。

現在の我が国の財政法が制定された際にも、そうした議論がありました。

因みに、今の財政法が制定されたのは、GHQによる占領統治下です。

当時、法案審議の際に国会答弁に立った平井平治という財務省(当時は大蔵省)の法規課長は「財政法第4条は、戦争放棄を謳った憲法9条の裏書き条項である」とまで言い切っています。

以下、財政法第4条の条文をそのまま掲載します。

『国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
② 前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
③ 第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。』

大蔵省の平井課長は「この条項があるからこそ、憲法9条の平和主義が守られるのである…」と言っていたわけです。

しかしながら、戦後の日本が財政法第4条に従って、初めて赤字国債を発行したのは1965年の佐藤栄作内閣の時です。

朝日新聞が言うように「いったんそれ(赤字国債の発行)が認められた…」わけですが、それ以来、我が国は今日にいたるまでかつてのような戦争の道に突き進んでいません。

そもそも因果関係が全くの逆です。

我が国は、国債を発行したから戦争したのではなく、戦争遂行のために国債を発行せざるを得なかっただけです。

そこでぜひ朝日新聞に質問したいのですが、いったん国家が戦争を決意した場合、その戦争を財政規律によって止めることなどできるのでしょうか?

できるわけがない!

「おカネがないから戦争に負けて奴隷属国になろう…」などと言うバカな指導者などいないはずで、その戦争が他国の侵略から国を守る戦争(自衛戦争)であればなおさらです。

ロシアによる侵攻を受けているウクライナのゼレンスキー大統領が、財政規律を理由にロシアに降伏することなどあるわけがあるまい。

よく考えてほしい。

国家というものは、仮に財政破綻(債務不履行)に陥ったとしても、それで滅亡するわけではありません。

最近ではレバノン、あるいはギリシャやアルゼンチンもそうでしたが、財政破綻(債務不履行)に陥ってしまった国がありますが、これらの国が世界地図から消え失せたわけではありません。

しかし、自衛のための戦争で敗北したら、国は滅亡するか、主権を失って従属国家となるほかないのでございます。

現に、日本は敗戦により主権を失い米国様の従属国家になってしまったではないか。

ゆえに「国債の発行を禁止すれば戦争にならない…」というロジックは完全に破綻しています。

むしろ古今東西の歴史が証明しているとおり、実は財政規律に厳格だった国こそ無益な戦争を繰り返しています。

例えば、金本位制度という財政健全化主義は第一世界大戦を抑止することはできませんでしたし、健全財政派のナポレオンは収支均衡を維持するために他国を侵略し財源を確保をしようとしました。

要するに、財政規律で平和を創出することはできないのです。