揺らぐ、米国の安全保障コミットメント

揺らぐ、米国の安全保障コミットメント

お隣の韓国では「独自の核武装に踏み切るべきかどうか…」という論議が大きく取り沙汰されています。

今年1月、韓国の尹錫悦大統領は「韓国は独自の核開発を検討するかもしれないし、冷戦期のように米国に戦術核兵器の配備を求めるかもしれない」と発言されました。

後に尹大統領は「自分の発言は政府の政策であることを意味しない」と強調されましたが、そのインパクトはことのほか強烈だったようで、直近の韓国の世論調査では「独自の核兵器開発が必要だ」と回答した人の割合が76.6%に達したという。

むろん、韓国のみならず、わが国においても未だ主流な意見ではないものの、ネット界隈では徐々に「核武装論」が燻りはじめています。

因みに、読売新聞の調査によると、日本でも既に80%以上の国民が中国、北朝鮮、ロシアを軍事的脅威とみなしており、岸田内閣による前例のない防衛予算の引き上げを支持する人は過半数に達しています。

わが国は、私が生まれた年(1971年)以降、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を旨としてきましたが、東アジアの軍事バランスが急激に変化している昨今は「せめて議論だけでもするべきでは…」という世論が醸成されつつあります。

要するに、これまで米国を中心とする同盟諸国が抱いてきた「米国主導の安全保障コミットメント」の信頼性が揺らぎはじめたのでございます。

米国主導の安全保障コミットメントとは、核兵器を含む米国のあらゆるパワーを用いることで、同盟国の領土と主権に対する外敵からの攻撃を抑止し、必要とあらば相手を容赦なく打倒する、というものです。

確かに、イラク戦争とリーマン・ショックによって米国の軍事力と経済力は大きなダメージを受け、今や覇権国としてグローバリゼーションを維持することが困難となったのは明らかです。

米国は北朝鮮の振る舞いに対し、これといった軍事制裁を加えているわけでもないし、ウクライナ問題では経済制裁と武器支援を行っているだけです。

現に、台湾問題にしても、バイデン政権の強行派が煽るだけ煽ってはいるけれど、実際に有事となった場合、軍事的にどこまで介入するのかすら今や怪しい。

今後、ワシントンでは、この信頼を取り戻すために「いかに対処すべきか…」が大きな政治アジェンダとなっていくことでしょう。

とはいえ、覇権国としての軍事パワーを喪失しつつあるものの、米軍は未だ世界最強の軍隊であることは否定できません。

例えば、もしも中国と米国が、ガチで国家間決戦をしたら、圧倒的な差で米国が勝利することになるでしょう。

よって、すぐに第三次世界大戦が勃発するような事態にまで世界が追い込まれている状況にあるとは思えません。

私は、かろうじて米国による軍事的な「一極秩序」は維持されているものと認識しています。(ただし、価値は多極)

やがて、この一極秩序が崩れて二極となり、そして三極となり多極となったとき、世界はカオスになります。

ゆえにわが国としては、この一極秩序による①「存在・抑止」を維持し、もしも有事が勃発した際には②「即応・対処」し、一極秩序が崩れたときに備えて③「準備・定礎」することを怠ってはならない。

国内の軍事リソース、あるいは経済リソースを、どの程度の割合で①②③に配分するのか、それこそがまさに「政治」なのだと思います。

今や、一国のみの「軍事力」で一国の平和を維持することは不可能な時代にあります。

それが軍事のリアリズムです。