川崎市役所は、戦前・戦中の陸海軍と同じ

川崎市役所は、戦前・戦中の陸海軍と同じ

87年前の今日(2月26日)、二・二六事件が起きました。

あのころは、資源をもつ国々が仕掛けたブロック経済によって、わが国の経済は益々もって窮地に追い込まれていました。

とりわけ、右翼社会主義(天皇を戴く共産主義)に心酔した青年たちや陸軍青年将校らの動きが活発化していました。

例えば1932年3月には、血盟団事件で三井財閥の団琢磨が暗殺され、5月には五・一五事件により犬養毅首相も暗殺されました。

“腐敗政治”の是正と財閥の粛清を掲げた彼らは、着実にそれらを実行していったのです。

そして、軍部内部に下剋上の風潮がはびこるなか、ついに二・二六事件が勃発。

この事件を契機に軍部の政治的発言権がさらに強固となっていき、挙句の果てには軍部首脳により政治が支配されるに至り、立憲君主としての大元帥陛下のご宸襟をも悩まし苦しめることになったわけです。

天皇を戴く共産主義には、陸軍内に皇道派と統制派という二つの派閥がありましたが、二・二六事件は皇道派が起こそうとしたクーデターです。

その目的は、天皇を頂点にした統制経済・社会主義政権を陸軍が主導して樹立することです。

彼らは内大臣の斎藤実、大蔵大臣で日露戦争の功労者であった高橋是清などを殺害し、永田町一帯を占拠しました。

昭和天皇は、ただちにこれらを反乱軍と断定され、陛下にして「朕自ら近衛兵を率いて鎮圧する…」とまで言わしめ、まさに不快の念を顕にされたのです。

参謀本部は、昭和天皇の断固たる決意のおかけでクーデターの軍隊を鎮圧することができました。

ウクライナのゼレンスキーは、畏れ多くも昭和天皇をファシストとしてヒトラーやムッソリーニと同列に扱うという愚行を犯していますが、昭和天皇こそ、まさに戦前・戦中のファシズムと真正面からお戦いになられた真の自由主義者だったのです。

私はゼレンスキーに対し、断固として抗議します。

二・二六事件よって、統制派が陸軍内の主導権を握り、彼らの意志が陸軍の意志であるかのごとき状態となり、その弊害は早くも次の組閣に現れました。

広田弘毅内閣の顔ぶれに自由主義的な思想をもつ者や軍部に対立する者が見られたため、陸軍大臣がごねたのです。

とはいえ、山本権兵衛内閣のときに軍部大臣現役武官制は廃止されていたので、広田首相がほかの者に打診すればいいことでした。

ところが、広田首相はそれをしませんでした。

二・二六事件の再現を恐れるがあまり、できなかったのです。

以後、大元帥陛下であられる昭和天皇ですら、常に二・二六事件の再発を恐れなければならなくなってしまったのです。

反乱軍が首府の一部を占拠するという未曾有の事件はそれほど大きな後遺症を残してしまいました。

陸軍の発言権が強まっていき、ついには広田内閣のときに軍部大臣現役武官制が復活し、あろうことか陸軍内に政治外交を担当する部署までが創設され、陸軍の意志に反する内閣は組閣できなくなりました。

今では考えられないことです。

考えてみれば、五・一五事件の処分の甘さが、二・二六事件を引き起こしたとも言えます。

あのころは海軍であれ、陸軍であれ、こうした不祥事を起こしても処分は軽く、軍部高官が率先して責任を取ることはありませんでした。

とくに五・一五事件は、極めて軽い処分だったと思います。

敗戦直後の宮内庁長官(田島道治)が記した『拝謁記』には、昭和天皇の当時の熱い思いが綴られています。

大東亜戦争の敗北に至った要因について陛下は、1928年の張作霖爆殺事件の際の「陸軍への処分の甘さ…」に言及されています。

「張作霖事件の処罰を曖昧にしたことが、後年、陸軍の紀綱のゆるむ始まりとなった。張作霖事件のさばき方が不徹底であったことが今日の敗戦に至る禍根のそもそもの発端であった…」とまで述べられておられます。

たしかに、その後、軍部内の下剋上の風潮が高まっていき、もはや政治の背景としての軍隊ではなくなっていったのです。

つまり政治が軍事に飲み込まれ、政府中枢はことごとく軍人官僚に牛耳られ国会はまったく機能せず、大元帥であられる天皇陛下でさえコントロール不能な状態になってしまったのです。

戦後に明らかになった昭和天皇の『独白録』にも、軍部の暴走に悩まされた、その苦悩の数々が綴られています。

さて、川崎市役所では、不正に特別休暇を取得した職員が複数おり、そのことが問題になっています。

特別休暇(特別休暇1号)とは、新型コロナウイルス感染症対策に伴う保育所等の臨時休業や登園自粛要請により子どもの世話を行う場合等の事由によって取得するための休暇です。

それを複数の職員が不正に取得し、いわゆる「ズル休み」を何日も重ねていたのです。

実は一昨日(2月24日)付けで、その処分が発令されました。

処分内容は、なんと「戒告」です。

戒告は、懲戒処分とはいえ、もっとも軽い処分です。

川崎市では職員が公文書を偽造しても「口頭注意」、何十日にもわたり出勤時にタイムカードを押さなくとも特段お咎めなし。

残念ながら、今の川崎市役所は正しい罰を与えられない組織に成り果てています。

不祥事が多い根本的な理由は、この一点に尽きるのではないでしょうか。

川崎市役所という組織は、まるで戦前・戦中の陸海軍と同じです。