「まだまだグローバル化は加速する…」と言い張る川崎市

「まだまだグローバル化は加速する…」と言い張る川崎市

Wikipediaで「グローバリズム」を調べると、グローバリズムとは地球を一つの共同体とみなし、世界の一体化を推し進めようという思想…だと書いてあります。

なるほど、その考えに立って「ヒト・モノ・カネ」の国境を超えた活動が加速化する現象をグローバリゼーション(グローバル化)と呼ぶわけですね。

因みに、現在のグローバル化のはじまりは1980年代、加速したのは1990代のことですが、実は20世紀初頭にもグローバル化時代がありました。

よってここでは、1980年代からはじまったグローバル化を第二次グローバル化、20世紀初頭にあったグローバル化を第一次グローバル化と呼称します。

さて、主流派経済学では「グローバル化の基本条件である自由貿易により、輸出国も輸入国も最大の利益を享受することができる」と教えています。

しかしながら現実には、自由貿易が進むと両国企業間の競争は激化し、企業は賃金コストの削減に動くことになります。

結果、企業の利潤は増えつつも、その利潤が経営者や富裕層に回るだけで経済格差は拡大します。

それがすべての国で起きると、世界的に需要が不足し経済危機が内在化され、周期的に顕在化することになります。

20世紀初めの第一次グローバル化時代にも同じ現象が起き、世界大戦(第一次世界大戦)に至りました。

経済人類学者であるカール・ポランニーは、その経緯を次のように述べています。

「グローバル化の行き過ぎによって生活を破壊された人々が抵抗運動を始め、それに政治が応えた結果、国家による格差是正を目指してファシズム、ニューディール、社会主義が生まれた。そのような状況を背景に当時の覇権国家英国と、台頭してきた新興国ドイツの市場獲得をめぐる熾烈な対立が先鋭化して戦争となった」

一方、1980年代からはじまった第二次グローバル化によっても格差の拡大と経済の不安定化がもたらされ、ここ数年、世界的に反グローバル化運動が勢いを増しています。

その象徴的現象が、近年顕著となった反EUを掲げるポピュリズム政党の伸張であり、2016年のブレグジット(英国のEU離脱)であり、米国のトランプ現象でした。

グローバル化は覇権国の台頭により生まれ、その存在によって維持され、その衰退によって終焉します。

第一次グローバル化は覇権国・英国の存在によってはじまりましたが、英国による覇権に限界が生じ、遂にはドイツや米国という新たな挑戦国の出現を許し大戦となって消滅しました。

第二次グローバル化の覇権国である米国もまた、自ら推進したグローバル化の影響による国内の分断、金融危機の続発によって弱体化しました。

それに対し、グローバル化の恩恵を最大限利用して力を蓄えた中国が米国に挑戦を挑み始めて、覇権をめぐる米中対立が起きているわけです。

世界の識者は、第二次グローバル化が溶け始めたのは2008年のリーマン・ショックの頃だろうとみています。

そして、コロナ・パンデミックが世界を襲って国際的サプライチェーンを滞らせ、核保有国でもあり、資源大国でもあるロシアがウクライナに侵攻したことで、グローバル化時代は完全に終焉したとみています。

そりゃぁ、そうですね。

少なくとも、世界の警察官として君臨してきた覇権国・米国の力(経済力・軍事力)が衰えたからこそ、世界各地で地政学リスクが高まり、貿易がままならなくなっているわけですから。

ウクライナ戦争のみならず、中共が台湾に侵攻する可能性も高まりつつあり、それに連動して朝鮮有事だって勃発する可能性も否めず、下手をすると第三次世界大戦にも至りかねない。

米国の外交問題評議会が発行する外交や国際政治の専門誌である『フォーリン・アフェアーズ』では、ここ数年、ひたすらグローバリズム後の世界が論じられています。

そうです、グローバル化時代は既に終焉しているとみるべきなのです。

ゆえに、わが国もまたグローバリズム後の世界を前提とした国内議論が求められており、流動化する国際社会に機敏に対処できる体制を整備していくことが喫緊の課題となっています。

国や企業はもちろん、地方自治体においても同様です。

というか、今から議論していては遅いくらいです。

ところが、昨年(2022年)の8月25日に策定された川崎市の『川崎市国際施策推進プラン』には、次のような驚くべき一文があります。

「今後、ますますグローバル化が加速し…」

ロシアがウクライナに侵攻して半年以上も過ぎてもなお、川崎市は「今後ますますグローバル化は加速する」と言い張っています。

こういうところに、川崎市職員の不真面目さがでています。

要するに、現実を正確に捉えようとする努力を怠っており、テンプレート化した言葉を安易に使用して作文しているに過ぎないのです。