国家間決戦なき時代の防衛力

国家間決戦なき時代の防衛力

きのうの当該ブログでも、防衛力整備は「脅威対抗論」整備ではなく、「基盤的防衛力」整備であるべきだと主張しました。

考えてみれば、脅威対抗論とは「敵味方ともに独力」という前提の上にのみ成立するものです。

とはいえ、現実の国際社会は常に「彼我ともに複数」です。

ゆえに防衛力整備に脅威対抗論を持ち出すこと自体がそもそもからしてナンセンスだと思います。

一方、基盤的防衛力構想は、昭和35(1960)年以降の17年間、毎年10%以上の伸びを続けた防衛予算を「この辺りで頭打ちにしなければ…」と考えた政府(三木首相、坂田長官、久保事務次官)がそのために考案したものと言われています。

当時はデタント(緊張緩和)時代で、①「当分のあいだ戦争はないだろう…」、②「戦争の危険が出てきたらならその時点で防衛力を拡張(エキスパンド)すれば良い…」、③「今はその基盤だけを整備すればいい…」、④「その力が日本周辺に軍事的空白をつくらず世界平和に寄与する…」という4段論法により、三木内閣はGNP(当時はGDPではない)1%以内という量的規制をつけて国民に説明したのです。

その結果、17年間続いた防衛予算10%以上の伸びは止まったわけですが、その翌年となる昭和54年には「ソ連のアフガン侵攻」がありデタント時代が終わってしまったのは実に皮肉なことでした。

歴代自民党政権はそれを皮肉と感じることなく、基盤的防衛力構想を保持し続けました。

「基盤的防衛力」という言葉が防衛大綱から消えてしまったのは、『平成22年・防衛大綱』からで、以降、防衛大綱に「基盤的防衛力」という言葉が記載されていないのは実に残念なことです。

しかしながら、現世界のほとんどの国々が、戦争(国家間決戦)をするつもりはなく基盤的防衛力の体制をとっています。

国家間決戦のない時代の武力戦は、①国内戦、②国境戦、③集団安保措置による武力制裁の三種に限定されます。

だから各国は、その国家独自の①国内戦の予防・対処、②国境紛争の予防・対処、③集団安全保障措置に伴う分担義務遂行のための基盤的防衛力(軍事力)をGDP比2%程度の予算によって保有しているわけです。

なので、日本だけが脅威対抗論による防衛力整備をするとなれば、国際社会の流れに完全に逆行することにもなります。

だからこそ、我が国も基盤的防衛力による防衛力整備を進めるべきであると思うのです。

ただし、唯一の例外があります。

それは北朝鮮の弾道ミサイル対応です。

これについては、さすがに脅威対抗論での対処が必要でしょう。

とりわけ、この5〜6年間で北朝鮮のミサイル技術は急速に高まっており、迎撃が難しくなっているらしい。

2019年以降に発射された弾道弾を分析してみると、迎撃することが困難な「変則軌道」が少なくとも4割弱を占め、兆候を読みにくい「固体燃料」が7割強を占めているという。

2016〜17年あたりから、環境は一変しているようです。

ミサイル・ディフェンスは基本的に「待ちうち兵器」であり、発射地点からの距離の近い我が国には不利な兵器です。

ペトリオットのような短距離ミサイルを要点に絞って配置する分には有効ですが、日本全域をカバーするのは不可能です。

敵基地攻撃能力が議論されているのはそのためです。

国民の政治への関心の低さが社会問題化されて久しいところですが、防衛分野への関心はさらに低いのは実に嘆かわしいことです。