情報軽視は日本の宿痾

情報軽視は日本の宿痾

ロシアによるウクライナ侵攻が泥沼化してきたことによって、我が国ではテレビメディアを中心に「停戦にむけて日本として何かできることはないのか」「経済制裁だけでは不十分だ」「米国やNATOはなぜ介入しないのか」「日本は非核三原則を見直すべきだ」等々の議論が喧しくなってきました。

とりわけ「日本としても何か行動を起こすべきだ」という街の声は多い。

無辜のウクライナ国民が犠牲になっている悲惨な映像を見せられれば、だれもがそのように考えて当然でしょう。

しかし残念ながら、国としても個人としても、この紛争を止めるために日本国としてできることなど何もないのが現実です。

因みに、経済制裁の効果はあまり期待できない。

かつての日本もそうでしたが、制裁によって経済的に追い詰められると、かえって当該国は軍事的余力がある限りにおいて「力」による事態の打開を試みようとするものです。

ましてや、その国の主権存立に関わる場合にはなおさらです。

といって、ロシア大使館前で大規模な抗議活動を行ったところで事態は何も変わらない。

詰まるところ、戦後日本は国際政治に影響を与える力をもてない小国に改造されてしまったし、この70年間、日本国民そのものが総体として「それでいい」と考えてきたわけですから仕方がない。

軍事力も外交力も乏しく、そして今や経済力すら自慢にならない日本にできることは、ただただ西側が垂れ流す情報のなかで「戦争は嫌だぁ」と嘆くことしかないのか。

それでは格好がつかない…と考えた政治家たちが「日本も核武装の議論を…」みたいに言いはじめた感が否めません。

むろん、保有するかしないかは別として、核保有に関わる議論をすすめ、核武装をちらつかせることの政治的(外交的)効果は実に大きい。

ゆえに、どんどんやったらいい。

しかしながら、これら国家としての影響力を高めようとする一連の議論のなかには、日本人として完全に欠落している点があります。

それは「情報力」です。

戦前、戦中、戦後にわたり、我が国がことごとく軽視しているのが、この「情報力」です。

情報に関しては、収集する力、分析する力、工作する力が求められます。

その一つの手段として、テクニカル・インテリジェンスがあります。

テクニカル・インテリジェンスとは、衛星や無人機による情報収集のほか、あるいはサイバー空間などまさにスノーデンが暴露したような手段を駆使した情報の収集・分析・工作のことです。

もう一つの手段(実はこちらのほうが重要)が、人を介して施されるヒューマン・インテリジェンスです。

略して「ヒューミント」と呼ばれるもので、これを最も得意とする国はむろん英国です。

実は米国もヒューミントを苦手とする国で、未だ英国のほか、ときにパキスタンから、ときにカザフスタンから、あるいはイランやロシアからそれを拝借することすらあるらしい。

9.11同時多発テロの一年前、イエメンで米海軍がテロの標的になっていましたが、そのときにヒューミントが駆使されていれば「9.11を未然に防ぐことができたかもしれない」とさえ言われているほどです。

どんなにテクニカル・インテリジェンスに優れていても、それだけでは相手の「能力」を知ることしかできません。

もっと知り得なければならない情報は相手の「意志」です。

それを知るための能力こそがヒューミントです。

そして最も上等なヒューミントとは、諜報・謀略と気づかせないままに、相手の意志や意図を自国にとって有利となるように変えてしまうことです。

残念ながら我が国は、テクニカル・インテリジェンスを決定的に米国に委ね、ヒューミントに至っては皆無の状態にあります。

情報戦がものを言うハイブリッド戦争時代に突入した今、ヒューミントの重要性は益々高まっています。

むろん、ヒューミントは大々的に喧伝して行うものではありません。

ゆえに、私たち日本国民の知らないところで、そうした能力を獲得すべく政府が秘密裏に体制を整え事を進めていることを願うばかりです。

まぁ、あり得ないでしょう。

少なくともウクライナ情勢に関わる生情報を、米国に依存することなく独自に入手できる国にならないかぎり、日本国として主体的に外交政策を展開することなどほぼ不可能です。