行政改革こそが歪み

行政改革こそが歪み

ここ数年、川崎市役所では事務処理ミスが目立っています。

ミスというのは、例えば医療給付通知やマイナンバーカードの誤送付、あるいは各種給付金などの振り込みに関わるミスなどですが、公務員とはいえ人間なのですからミスはつきものです。

ただ、入力ミスなどあった場合、それを確認する再チェック機能が働かずに残念な結果に陥っているケースが多いようです。

今年度の上半期(4~9月)に報道発表されたものだけでも、財務・情報管理に関する事務ミスが17件ありました。

6月には市長名で「服務規律の確保」を求める通知が職員に出され、8月には「他部署のミスを『我が事』として捉えて」と呼びかける異例の通知が出されています。

しかしながら私の見立てでは、当該問題の本質は服務規律の緩みなどではない。

時代とともに拡大し続ける行政ニーズに対して職員の量的なマンパワーが足りていないこと、また団塊の世代の退職にともなってそれまでの行政ノウハウが現役職員へとしっかりと継承されなかったこと、この二つが、ここ数年の事務処理ミスの増加という形になって顕れている、というのが私の仮説です。

けっして職員一人ひとりの怠慢が事務ミスの原因などではない。

そもそもマンパワーが足りていなければ、抱えている仕事で手一杯となり、人様や他部署の業務までチェックすることなどできないでしょうから。

さて、川崎市では前の市長(阿部孝夫)時代の2002年7月に『財政危機宣言』が出され、ネオリベラリズムに基づく「構造改革」の名のもとに、職員が削減され、国庫補助のつかない事業は次々と廃止されてきました。

もっと遡れば、我が国では1990年代以降、中央政府でも地方行政でも「構造改革」が叫ばれてきました。

しかしながら、構造改革は結果として国・地方を含め我が国の統治機構をスリムにしたのではなく弱体化させてきました。

新自由主義に則って「小さな政府」をめざし、「官主導から民主導へ」などというスローガンの下、数々の政治改革やら行政改革、あるいは規制緩和や自由化などを行ってきたわけですが、それらはたんに「統治機構の破壊」でしかありませんでした。

また、ありもしない財政危機を覆って構造改革を進めるのはネオリベラリストの常套手段です。

残念ながら川崎市でも同じことをやられてしまったのです。

この期に及んでもなお、統治能力の弱体化こそが「改革」だと盲信している者が後をたたない。

本市においてたびたび問題となっている事務ミスは、個人個人の服務規律の問題でもなければ、組織上としてのモラルやコンプライアンスの問題でもない。

統治能力そのものが弱体化したことの結果です。

しかもそれは「改革」という外的かつ政治的要因によってもたらされたものです。

もはや「改革の歪み」などという次元ではなく「改革そのものが歪み」だったとさえ言っていい。

その反省に立って建て直さなければ、当該問題を解決することはできないものと考えます。