ナショナルな資本主義を求む

ナショナルな資本主義を求む

2023年からグローバル企業への課税(法人税)が強化されます。

既に日本をはじめ世界の130ヶ国以上が、巨大企業への課税を強化する新ルールに合意しています。

米国のバイデン大統領ほか、各国の政府が「100年ぶりの歴史的制度改革だ」と誇る合意です。

その交渉は、OECD(経済協力開発機構)を事務局にし、G7などの先進国からバハマやケイマン諸島といった比較的に経済規模の小さい国まで130以上の国と地域が参加して10年ちかくにわたって行われてきました。

GAFAと呼ばれる米国の巨大IT企業などが巨額の利益を上げているのに、これまでのルールでは「それに見合った税金を払ってもらえていない…」という問題意識があったからです。

交渉は各国の利害が対立し難航したものの、ここにきてようやく最終合意に至ったわけです。

合意が実現した最大の理由は、巨大企業に富が偏り格差が拡大していることへの各国の危機感といっていい。

加えて、新型コロナウイルスの影響で各国政府の財政負担が増えたことも大きく影響したのではないでしょうか。

世界は今もって「貨幣のプール論」で動いているのが実状ですので、より多くの税収を得たいという各国の思いが交渉を後押ししたのだと思います。

とりわけ大きかったのは米国の変化だったようです。

多くの巨大企業を抱え、ルールの改革に乗り気でなかった米国がバイデン政権へと変わり「バイデノミクスを行う以上、大企業にもっと税金を納めてもらいたい」と、賛成にまわったことで合意にむけた流れが一気に加速したという。

その合意の第一は、巨大企業の税金逃れ対策です。

各国共通で法人税の最低税率というものを史上はじめて導入し、その税率を15%にすると決めました。

企業がどの国に子会社を置いていようと、最低でも15%分の法人税を払ってもらうという仕組みです。

例えば日本に親会社がある大企業が法人税率5%のZ国に子会社を置いている場合、これまでのルールでは企業は子会社の利益の5%分をZ国に払うだけで済みました。

ところが新しいルールが適用されると、企業はこの5%に加えて最低税率15%との差、即ち10%分を日本政府に合わせて納税しなければならなくなります。

Z国に5% + 日本政府に10% = 15%

巨大企業がタックスヘイブンと呼ばれる法人税の低い国に利益を移し節税しようとしても、「その利益に見合った税金は他できちんと払ってもらいますよ!」という仕組みです。

企業からすると法人税の低い国に子会社を置いておくメリットが薄れ、その結果、各国の法人税引き下げ競争に一定の歯止めをかける効果も期待されています。

一方、日本は米国など、法人税が15%より高い国は今よりも税収が増えると見込まれます。

各国は来年中にも国内法を改正し、再来年以降の実施をめざしています。

もうひとつの合意は、巨大なグローバル企業への課税強化です。

これまでのルールでは、例えば米国のIT企業が日本の消費者相手にインターネットなどを使って利益を上げていても、日本国内に工場や支店がなければ、その企業から日本政府は税金をとることができませんでした。

まさに100年前の製造業中心の社会だったときに作られたルール、インターネットがない時代のルールが元になっているからです。

しかしながら現在は、音楽や動画配信など拠点がなくてもネット経由でいくらでも利益を上げられる時代です。

そこで超巨大企業、即ち売上高が世界全体で2兆6000億円以上、利益率が10%を超える企業についてはルールが変わります。

拠点が無くともネット経由などで利益を上げていれば、その一部を実際にビジネスを展開している国に納めてもらうことになります。

むろん、こちらの合意は多国間条約を結ぶ必要があります。

今回の合意を受けてバイデン米大統領は「史上初の最低税率は米国をはじめ世界の納税者に恩恵をもたらすだろう」としていますが、合意がきちんと実行されるかどうか未だわかりません。

ただ、グローバル化、デジタル化ですすむ巨大企業への富の集中を是正しようという動きは、まちがいなく「グローバリズム見直しの動き」にほかならない。

世界各国が国民経済を第一に考え、その上でインターナショナルに協調していくという意味での“反グローバリズム”を私は切に望んでいます。

そうしたなか岸田総理は「新自由主義的な政策を見直す…」と言うけれど、グローバリズム(新自由主義)によって破壊されてきたものを取り戻すのは容易ではなく相応の覚悟と知識をもって臨んでもらわなければなりません。

ところが、岸田総理の言う「新しい資本主義」についても今ひとつピンとこない。

先日の所信表明演説では、それについての具体的な言及すらありませんでした。

何度でも言います。

多くの国民が望んでいるのは、これまでのグローバル資本主義を「ナショナルな資本主義」に戻すことです。

そもそも、なんでも「新しい…」をつければ良いってもんじゃない。

「新しい…」をつけるところが、いかにも新自由主義的(グローバリズム的)です。