近代国家として出発した明治政府は、深刻な財政問題に直面していました。
幕末から続くインフレや対外関係費の増大、未整備の税制といった課題を抱え、国家基盤は極めて脆弱な状態にありました。
こうした状況のもとで、財政運営の方向性が問われていたのです。
このとき、日本の財政政策は大きく二つの方向に分岐しました。
一つは、金本位制の確立と財政均衡を重視し、通貨の安定を最優先する路線です。
もう一つは、産業育成と経済成長を通じて、経済の実体を強化する路線です。
長州閥の井上馨や薩摩閥の松方正義は、通貨の信用を守るために緊縮財政を志向しました。
金本位制を採用し、通貨発行を制約し、財政規律を確立することで、通貨の価値と物価の安定を実現しようとしたのです。
しかし、その代償は小さくありませんでした。
激しいデフレと不況、農村の疲弊、社会不安の増大を招いたのです。
これに対し、薩長閥とは距離を置く大隈重信は、全く異なる発想をとりました。
大隈は、「問題は通貨の量ではなく、経済の実体(実需)にある」と捉えました。
輸出を伸ばし、産業を育成し、供給力を高めるべきだと考えたのです。
そのために財政出動を行い、インフラ整備や産業育成を進める殖産興業政策を推進しました。
結果として、通貨は増発されたにもかかわらず、物価は安定しました。
むしろ経済成長によって、国家基盤は強化されていったのです。
ここで問われるのは、「インフレの原因」です。
当時も現在と同様に、「通貨を増やしたからインフレになった」という説明が広く信じられていました。
しかし現実は異なります。
例えば、西南戦争の際に物価が上昇したのは、通貨の増発そのものではなく、戦争による需要の急増や労働力・物資の供給制約といった、実体経済の変化によるものでした。
つまり、インフレは通貨ではなく、需要と供給の関係、特に供給制約によって生じる現象です。
その現実を見誤ると、政策は必ず誤ります。
この構図は、現代日本と驚くほど重なります。
現在もまた、「財政赤字は危険だ」「国債発行は将来世代の負担だ」「通貨を増やせばインフレになる」といった議論が繰り返されています。
しかし現実に起きているのは、エネルギー価格の高騰、供給制約によるコスト上昇、人手不足による賃金上昇といった、実体経済の変化による物価上昇です。
明治期と同様に、通貨(財政規律)を守るのか、経済を守るのかという選択が、今まさに突きつけられているのです。
財政とは通貨を守るためのものなのか、それとも経済を維持するためのものなのか。
6月に閣議決定予定の『骨太の方針2026』において、財政規律を重視する「PB黒字化目標」がどのように位置づけられるか。
その判断は、日本が「通貨を守る国」であり続けるのか、それとも「経済を守る国」へ転換できるのかを左右することになります。


