きのう、川崎市議会において、日本共産党川崎市議団から「非核三原則の尊重と堅持を求める意見書案」が提出されました。
この意見書は、「唯一の戦争被爆国」という立場から非核三原則の堅持を求めたものです。
唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶を訴えるという趣旨については、多くの方が共感を抱くのではないかと思います。
確かに、我が国にとって大東亜戦争の敗北という歴史は特別な意味を持っています。
しかし、その経験と現在の安全保障環境とは直結しません。
政策を考える際には、理念や願いだけでなく、現実の前提を踏まえる必要があります。
周辺には核兵器を保有する国々が存在し、我が国はそれらと向き合い、安全を確保していかなければならない立場にあります。
現在の国際社会において、核兵器は単なる兵器ではなく、使われないために存在する抑止の役割を持っています。
日本は自ら核兵器を保有していない一方で、同盟関係を通じて核抑止の恩恵を受けています。
つまり、非核を掲げながらも、核による抑止の仕組みの中で安全を確保しているという側面があります。
この点を切り離して考えることはできません。
また、核兵器そのものを廃絶することができたとしても、核を生み出す技術そのものを消し去ることはできません。
そこに重要な制約があります。
核分裂の原理は自然法則であり、関連する技術の多くはエネルギー利用とも重なっています。
一度確立された科学技術や知識は完全に消去することができないため、仮に全ての核兵器を物理的に廃絶できたとしても、将来どこかの国が核兵器を持つ可能性を完全にゼロにすることはできないのです。
どの国が、いつ、どのような判断をするのかは誰にも正確には分かりません。
だからこそ各国は、相手の善意だけに依存するのではなく、最悪の事態も想定しながら安全を確保しようとします。
このような状況では、どこかに核兵器が存在する可能性がある限り、他の国もそれを無視して安全保障を考えることはできないという現実が生まれます。
戦後80年にわたり、国家間決戦(クラウゼヴィッツの言う絶対的戦争)がなくなったのは、核保有国同士の国家間決戦は核がストッパーとなって発動が事実上不可能となり、またそれ以外の戦争についても、核保有国である軍事大国の関与のもとでエスカレーションが抑制されてきたためです。
戦争はすべて、局地戦、制限戦、代理戦に留まりました。
この構図は、現在も基本的に変わっていません。
非核三原則は、戦後日本が掲げてきた原則の一つですが、それ自体で安全が確保されるものではなく、現実の安全保障環境の中で、どのように位置づけるかが問われています。
周辺環境や同盟関係と切り離して、この原則だけを取り出して議論することは、実態を十分に踏まえたものとは言えません。
本来問われるべきは、非核三原則を堅持した場合、日本の安全はどのように確保されるのかという点です。
意見書案には、その点に関する具体的な考えは示されていませんでした。
この問いに対する具体的な考えが示されなければ、議論は理念の域を出ません。
核の問題は、単純な善悪の問題として割り切ることはできず、不確実性が高まるなかで、いかにして軍事的安全を確保していくのかが問われています。
歴史的な経験や思いは大切にしつつも、現実の条件を踏まえた議論を行うことこそが政治の責任です。


