財政は財布ではない

財政は財布ではない

財務省は、2026年度予算案をもとにした「後年度影響試算」を公表しました。

その試算では、金利上昇を前提に国債費が社会保障費を上回り、最大の歳出項目となる見通しが示されています。

日本経済新聞も、この後年度影響試算の内容を報じています。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1813D0Y6A210C2000000/

財務省と主要メディアの関係が、戦前・戦中における大本営とマスコミの関係を想起させるのは、私だけでしょうか。

こうした試算が示される際、必ず語られるのが「財政硬直化」という言葉です。

すなわち、国債費の増加によって政策余地が失われるという見方です。

しかし、この議論には明確な前提が置かれています。

それは、「財政は限られた財布であり、支出は奪い合いである」という発想です。

この発想こそが、いわゆる財政硬直化論の核心です。

繰り返し申し上げてきたとおり、自国通貨建てで国債を発行できる主権通貨国においては、財政の本質的制約は財源ではありません。

制約となるのはインフレであり、すなわち実物資源の賦存量と供給能力です。

国債は原則としてロールオーバー(借り換え)によって運営されます。

また、政府の国債発行は家計の金融資産を拡大させます。

したがって、国債費を単純に「負担」としてのみ描くことは、制度の構造を十分に踏まえた説明とは言えません。

ここで想起すべき歴史があります。

第二次世界大戦期、英国のチャーチル首相は国家存亡の局面において、財政制約を先に置く発想を退けました。

目的を達成するために必要な資源をどう動員するかが優先されるべきであり、財政は制約ではなく手段として位置づけられたのです。

チャーチルが戦争会議から財務大臣を除外したという逸話は、その象徴として知られています。

むろん、現在の日本が直面している課題は戦時とは異なります。

しかし、人口減少、インフラ老朽化、安全保障環境の変化、技術競争の激化という状況は、将来の国家の供給能力を左右する重大な局面であることに変わりはありません。

この文脈で重要なのは、財政をどのような構造で捉えるかです。

財政は「財布」ではありません。

供給能力を維持し、拡張するための制度です。

一方で、ここで注意すべき点もあります。

それは、市場(マーケット)の存在です。

市場は政策を決定する主体ではありませんが、政策が実行される環境を形成する主体ではあります。

したがって、政権運営において市場との対話は不可欠です。

ただし、それは市場に従うことを意味しません。

市場への過剰な配慮から、財政の持続可能性のみを強調し、供給能力の毀損リスクを過小評価すれば、結果として国全体の供給能力を弱めます。

政治の役割は、市場の短期的なナラティブに左右されることなく、長期的な供給能力を基準に意思決定を行うことにあります。

実際のところ、高市内閣が掲げる「責任ある積極財政」は、それほど大胆な財政拡張ではありません。

むしろ、市場との対話を強く意識した抑制的な設計と見るべきでしょう。

そのうえで繰り返します。

いま問われているのは、「財政が硬直化するか」ではありません。

将来の供給能力を維持できるかどうかです。

インフラ、人材、技術、安全保障――

これらはすべて将来の供給能力を構成する投資です。

これらを先送りすることこそが、真のリスクです。

財政論争の本質は、国家の供給能力を維持し、強化する意思があるかどうかにあります。

その意味で、財政を語るとは、国家の将来を語ることにほかなりません。