去る1月29日、川崎市議会の総務委員会において、「川崎市災害時のトイレ対策方針」が示されました。
災害時のトイレ環境は、水洗トイレが使用できず衛生環境が悪化し、被災住民の避難生活や健康に影響を及ぼすなど深刻な状況に陥ります。
過去の大災害でも、同様の事態が繰り返されてきました。
そこで本方針の中身を見てみると、残念ながら決定的な欠陥があります。
それは、「この方針の中で、市が引き受けるべき不可逆領域は、どこに位置づけられているのか」という問題です。
災害対応には、大きく分けて二つの領域があります。
一つは、状況に応じて修正可能な「可逆領域」。
もう一つは、初動で判断を誤れば、被害が連鎖的に拡大し、後から取り戻すことができない「不可逆領域」です。
トイレ対策において、この不可逆領域は極めて明確です。
それは、「発災直後に、使ってよいトイレと、使ってはいけないトイレを、誰が判断し、誰が止めるのか」という一点に集約されます。
水洗トイレを誤って使用すれば、破損した下水管を通じて汚水が漏出し、集合住宅では下階への逆流が発生するなど、建物そのものが長期間使用不能になります。
これは後から清掃や復旧で帳消しにできる被害ではありません。
一度起きれば、住環境そのものが破壊される、典型的な不可逆被害です。
ところが現行の方針では、この最重要局面が、主として「市民の理解」「自主防災組織や避難所運営会議との協力」「啓発による周知」に委ねられています。
もちろん、平時の備えとして自助・共助を高めることは不可欠です。
しかし、発災直後という、情報が錯綜し、人も資源も不足する時間帯において、「市民が正しく判断すること」「地域が自律的に止めること」を前提に置く制度設計は、現実の厳しさを過小評価していると言わざるを得ません。
不可逆な被害が生じる局面ほど、個人の善意や努力ではなく、あらかじめ決められた権限と責任の所在が必要になります。
トイレ対策方針は、「使えるトイレを増やす」「備蓄を促す」「訓練を重ねる」といった“積み上げ型”の施策には多くの紙幅を割いています。
一方で、「使ってはいけない行為を、誰が止めるのか」「誤使用を防ぐ最終判断を、誰が引き受けるのか」という、政治的責任を伴う問いは、制度の外側に残されています。
しかし、不可逆領域とは、まさにこの部分です。
・震度いくつ以上で、水洗トイレの使用を一律に止めるのか
・下水道の点検完了を、誰の判断で、どの情報として市民に伝えるのか
・集合住宅での使用禁止を、管理組合不在の場合でもどう徹底するのか
これらは、現場判断や善意に委ねてよい性質のものではありません。
私は、このトイレ対策方針を「不十分だ」と言いたいのではありません。
むしろ逆です。
この方針は、すでに「不可逆な被害が起きうる場所」を正確に照らし出しているにもかかわらず、そこを引き受ける主体だけが制度化されていません。
この点こそが、本方針における最大の欠陥です。
災害時、政治と行政に求められるのは、すべてを救う万能性ではありません。
しかし、一度判断を誤れば取り返しがつかない領域を、誰が引き受けるのかを、事前に決めておくこと。
これは、まさに公が担うべき役割です。
トイレは生活の周縁的課題ではありません。
衛生、健康、尊厳、そして都市の持続可能性に直結する、基盤そのものです。
だからこそ、「市民にお願いする領域」と「市が引き受ける不可逆領域」、この線引きを曖昧にしたままでは、災害という現実は必ずその曖昧さに報復します。
今後、議会において、この不可逆領域を誰が引き受けるのかという点を明確にするよう、方針の改善を求めてまいります。


