ジョルジャ・メローニ首相を語る際、しばしば「極右」「ポピュリズム」「反EU」といったラベルが先行します。
しかし、それらの言葉だけでは、彼女が何を問題視し、何と闘おうとしているのかは見えてきません。
メローニ首相の政治を理解する鍵は、彼女の内面や感情ではなく、戦後ヨーロッパが抱えてきた統治構造そのものにあります。
彼女が対峙しているのは、特定の国家や人物ではありません。
より抽象的で、しかし現実にイタリア国民の生活を規定してきた「構造」です。
第一に、メローニ首相が闘っているのは「主権なき統治」です。
EU統合が進む中で、加盟国の多くは、財政規律、金融政策、産業政策といった重要分野において、「自国で決めていないが、従わざるを得ない決定」に囲まれてきました。
すなわち、決定はどこかでなされているものの、誰が最終的な責任を負っているのかは見えにくい。
メローニ首相が繰り返し強調する「国家主権」とは、感情的な排外主義ではなく、誰が決めるのか、誰がその結果に責任を負うのかを、再び可視化する試みです。
彼女はEU離脱を主張していません。
ユーロも否定していません。
それでも主権を語るのは、「統合か離脱か」という二択では、統治の空白は埋まらないという問題意識に立っているからです。
第二に、彼女が闘っているのは「責任なきグローバリズム」です。
グローバル化は、国内産業の空洞化、地域格差の固定化、労働の不安定化をもたらしてきました。
問題は、これらの変化が「市場の結果」「国際競争の帰結」として語られ、政治の責任領域から外されてきたことです。
メローニ首相の反グローバリズムは、国境を閉ざすことではありません。
「市場に任せた結果」を、「政治が引き受ける対象に戻す」ことです。
だからこそ彼女は、戦略産業、国内供給能力、労働と家族の安定といったテーマを、繰り返し政治の言葉で語ります。
第三に、彼女が闘っているのは「民主的正統性の空洞化」です。
近年の欧州政治では、専門家、技術官僚、市場が政策判断の中心に据えられてきました。
それ自体は必要な要素です。
しかし、それが進みすぎると、「選挙で選ばれた政治は、最終決定者ではない」という状況が生まれます。
メローニ首相は、この構図に異議を唱えています。
彼女が「決める政治」「責任を引き受ける政治」を強調するのは、権力集中を志向しているからではありません。
むしろ、決断した主体が明示され評価も批判も引き受けるという、民主政治の原点を回復しようとしているのです。
メローニ首相は「誰か」と闘っているのではない。
彼女が闘っているのは、主権が分散し、責任が曖昧になり、政治が説明能力を失ってきた戦後欧州の統治構造そのものです。
それは、日本にとっても他人事ではありません。
「市場が決めた」
「専門家が判断した」
「国際的にそうなっている」
こうした言葉が政治を覆うとき、国家は静かに、しかし確実に、判断能力を失っていきます。
メローニ首相の政治は、その流れに対する一つの応答です。
成功するかどうかは、まだ分かりません。
しかし少なくとも彼女は、「誰が決め、誰が責任を取るのか」という問いを、再び政治の中心に引き戻そうとしています。
彼女が闘っているのは、敵ではなく、空白です。
主権と責任が失われた場所に、再び政治を置き直そうとする闘いなのです。


