壊れたのは、橋の端だった――長寿命化という選択の帰結

壊れたのは、橋の端だった――長寿命化という選択の帰結

2025年12月、宮城県涌谷町にある県道涌谷田尻線・涌谷大橋で、補修工事中に橋脚上部の張り出し部が折損し、歩道と車道の間に大きな隙間が生じる事故が発生しました。

事故後、橋は全面通行止めとなり、現時点でも復旧のめどは立っていません。

この橋では、同年9月から老朽化対策として補修工事が始まり、足場を設置するなど準備作業が進められている最中でした。

その後の調査により、歩道部だけでなく、車道の桁を支える「支承部」にも損傷が生じていることが明らかになっています。

一見すると、地方都市で起きた不運な工事事故のように見えるかもしれません。

しかし私は、この事故を決して対岸の火事だとは考えていません。

むしろ、川崎市が直面している現実と深く重なって見える事例です。

涌谷大橋では、歩道部が橋脚上部の張り出し(ブラケット)構造によって支持されていました。

張り出し部は、本来、橋脚や主桁といった主構造に比べて冗長性が低く、あくまで付加的な役割を担う部位です。

にもかかわらず、長年にわたる歩道の恒常荷重に加え、補修工事に伴う仮設足場や作業荷重が集中する構造となっていました。

構造的に弱い部分に、時間的にも質的にも過大な負担がかかり続けていたと言えます。

この事故の背景には、「全面通行止めにできない」「できる限り供用しながら延命する」「財政負担を軽減したい」という、社会的・行政的な前提があります。

しかしながら、抜本的な架け替えではなく、段階的な補修と仮設を重ねる。

その結果、本来は一時的であるはずの不安定な状態が、長期間にわたり常態化します。

涌谷大橋の事故は、供用下補修という維持管理のあり方が内包する構造的リスクを、極めて分かりやすい形で露呈させました。

事故後の調査で、橋脚の張り出し部だけでなく、車道桁を支える支承部にも損傷が及んでいることが判明しました。

これは、劣化や変位が局所にとどまらず、橋全体の構造系に波及していたことを意味します。

それにもかかわらず、維持管理の現場では、歩道部、車道部、支承部が分節的に扱われてきました。

「橋は一体の構造系である」という認識が、制度や運用の中で十分に共有されていなかったと言わざるを得ません。

県は現在、車道部の早期復旧を優先し、歩道部の復旧や事故原因の究明には時間を要すると説明しています。

実務的には理解できる対応ですが、同時に、「想定外の事故」という言葉で事態を処理してしまう構造的な危うさも感じます。

老朽化した橋梁、張り出し部支持、供用下補修、仮設荷重の集中。

条件がそろえば、事故は偶然ではなく、起こるべくして起きたものだったのではないでしょうか。

この問題は、決して宮城県だけの話ではありません。

川崎市の登戸陸橋の修築工事もまた、長寿命化を目的として着手されたものの、工事の途中で竣工図と現状の配筋位置が一致しないことが判明し、工事が中断する事態となっています。

本来想定していたアンカー鉄筋の施工ができず、桁かかり部を一度撤去した上で、新たな施工方法を検討せざるを得なくなりました。

その結果、工期は延び、工費の増額も避けられない状況となっています。

交通制約は長期化し、地域経済や市民生活にも影響が生じています。

ここで注目すべきは、個別の設計ミスや施工不良を断罪することではありません。

昭和期に建設された構造物について、図面と現物が一致しているという前提そのものが、もはや成立しない時代に入っているという現実です。

長寿命化を前提とした補修・修築を進めようとすれば、工事は必然的に「現場を開いて初めて分かる不確実性」を抱え込みます。

その結果、工事中断、設計変更、工費増額、供用制限の長期化という連鎖が生じます。

涌谷大橋と登戸陸橋は、場所も管理主体も異なりますが、両者に共通しているのは、老朽インフラを供用し続けながら延命しようとする中で、構造的な不確実性とリスクを現場に押し出してきた点です。

涌谷大橋の事故が突きつけているのは、個別の技術ミスや現場対応の問題ではありません。

老朽インフラを「止めずに、安く、延命する」ことを是としてきた社会と行政の構造そのものです。

川崎市にも、高度経済成長期に整備された橋梁や公共施設が数多く存在します。

長寿命化は避けて通れない課題ですが、それは同時に、どこにリスクを集約し、誰が判断と責任を引き受けるのかという、避けて通れない政治の問題でもあります。

涌谷大橋の事故を地方の不運な事例として片付けるのではなく、川崎市自身への警鐘として受け止めること。

それこそが、同じ過ちを繰り返さないための第一歩だと、私は考えます。