トランプ米大統領が、日本に対し、パレスチナ自治区ガザの暫定統治などを担うとされる国際機関「平和評議会」への参加を要請してきたと報じられました。
参加期間が3年以上となる場合、10億ドル規模の資金拠出を求めるという条件も示されています。
この評議会には、ロシアのプーチン大統領も招待されている一方、フランスのマクロン大統領は参加要請を辞退する意向を示しました。
それに対し、トランプ米大統領は、フランスのワインやシャンパンに200%の関税を課すと公言しました。
参加するか否かが、直ちに通商制裁と結びつく。
極めて露骨なやり方です。
この出来事を、単なるトランプ大統領の「強硬姿勢」や「気まぐれ」として片付けてしまうと、本質を見誤ります。
これは、現在の国際経済秩序が置かれている構造を、非常に分かりやすく示している事例です。
かつて、為替や国際経済の大きな調整は、G7が集まり合意することで可能でした。
スミソニアン合意、プラザ合意、ルーブル合意。
いずれも、主要国が共通のテーブルにつき、調整コストを分担することで成立していました。
しかし、その前提はすでに崩れています。
グローバル化の進展によって、新興国経済が台頭し、G7の経済規模は世界全体に占める割合として大きく低下しました。
かつては「G7=世界経済の中枢」でしたが、今やG7は数あるプレイヤーの一つに過ぎません。
市場はグローバルに統合されましたが、それを統治する主体は生まれなかった。
結果として、世界を「内側から決められる」主体は存在しなくなったのです。
この構造の下では、プラザ合意型の協調為替調整は成立しません。
その現実を、最も痛感しているのが米国です。
基軸通貨ドルを発行するがゆえに、米国は恒常的な経常赤字を抱え、製造業の競争力低下と雇用流出に直面してきました。
かつては同盟国との協調によって、この負担を調整することができました。
しかし今、それは不可能です。
だから米国は、合意ではなく、強制に向かいます。
関税、安全保障、制裁、資金拠出要請。
通貨や為替を直接動かせない以上、国際経済システムそのものを揺さぶるしかない、という発想です。
今回の「平和評議会」をめぐる動きも、その延長線上にあります。
参加すれば多額の資金拠出を求められ、辞退すれば関税という形で報復される。
これは国際協調の顔をした、事実上の圧力装置です。
ここで、日本の立ち位置が問題になります。
日本はG7の一員ではありますが、世界経済の調整責任を引き受けるという意味での準備通貨国ではありません。
ドルを発行できる立場でもなければ、通貨主権によって調整コストを外部化できる立場でもありません。
たしかに、円は外貨準備として一定割合保有されているため、技術的には準備通貨の一つとされることがあります。
しかし、世界経済の調整責任を引き受け、国際通貨秩序の形成に決定的な影響力を持つという意味での準備通貨国は、事実上米国のみです。
要するに、定義上・統計上は準備通貨国に含まれるとしても、世界経済の調整責任を負えない国は、政治経済的な意味では準備通貨国とは言えません。
それにもかかわらず、日本は米国の同盟国として、
・安全保障上の負担
・資金拠出
・通商面での譲歩
を求められる側に立たされます。
つまり日本は、「秩序を決められない側」でありながら、「秩序維持のコストを引き受ける側」に置かれているのです。
これは偶然ではありません。
グローバル化によって、合意による統治が不可能になった世界において、同盟国であるが準備通貨国ではない国が必然的に背負わされる役割です。
問題は、参加するか、辞退するか、という二択ではありません。
問題は、日本がこの新しい国際経済秩序の中で、どのような位置に立つのかを、自覚的に選び取れているのか、という点です。
グローバル化とは、世界を一つの市場に統合する過程であると同時に、世界を統治できる主体を解体していく過程でもありました。
その帰結として、合意は力に置き換えられ、協調は圧力へと姿を変えています。
いま問われているのは、トランプ大統領の是非ではありません。
この構造の中で、日本がどこまで「自分の判断」で動けているのか。
そのためには何をすべきなのか。
問われているのは、場当たり的な対応ではなく、この構造を前提にした政治の責任と決断です。


