協力会社を介した不適切な発注や資金の積み立て、さらには工事ごとの原価を付け替えるといった会計処理が明らかになりました。
不動テトラでは、東京本店の地盤工事部門を中心に、管理職を含む複数の関係者が関与した会計不正が発覚し、第三者による特別委員会の調査結果が公表されました。
調査報告書によれば、これらの行為は一時的なものではなく、長年にわたり組織内部で引き継がれてきた可能性が指摘されています。
また、建設業界では必ずしも珍しくない慣行の延長線上で行われていたと推察される一方で、それを是正できなかった上層部の対応が重大な問題として指摘されています。
この不正については、まず不動テトラ自身の責任が厳しく問われるべきでしょう。
架空発注や原価付け替えといった行為は、会計上も契約上も許されるものではなく、組織としてそれを止められなかった点で、同社が不正の「加害者」であることは否定できません。
しかし、この問題を一企業の倫理の欠如だけで片付けてしまうと、事の本質を見誤ります。
不動テトラの不正は、突発的に生じたものではなく、特定の工事環境と制度運用の下で、長年にわたり温存・再生産されてきた構造的な現象だからです。
不動テトラは、地盤・基礎工事を中心に、国や自治体が発注する公共事業を長年にわたり請け負ってきた建設会社であり、今回の不正も、そうした公共事業を含む工事環境の中で発生したと考えるのが自然です。
1990年代後半以降、日本社会では「公共事業悪玉論」が広がり、公共事業は削減すべき対象として語られてきました。
これに伴い、公共事業費は量的にも単価的にも圧縮され、公共工事の契約運用は大きく変質していきました。
具体的には、
・予定価格の引き下げ
・工期短縮の常態化
・設計変更や契約変更の厳格化
といった運用が進みました。
一方で、地盤・基礎工事の現場では、掘ってみなければ分からない地中条件や、想定外の対応、周辺環境への配慮など、設計段階では完全に織り込めない不確実性が常に存在します。
つまり、公共事業費は削減されても、現場の不確実性そのものは一切減っていなかったのです。
本来であれば、設計と現場が一致しない場合、発注者と協議し、設計変更や契約変更によって是正されるべきです。
しかし、公共事業費削減を最優先とする政策環境の下では、その正規ルートが次第に機能しにくくなっていきました。
その結果、現場は次の選択を迫られます。
正直に赤字を出すのか、それとも現場で帳尻を合わせるのか。
この「帳尻合わせ」が、原価付け替えや架空発注、プール金づくりといった不正会計へとつながっていきます。
もちろん、制度に問題があったとしても、不正が正当化されるわけではありません。
不動テトラは、不正を選択し、それを組織的に継承してきた点で、明確に責任を負うべき主体です。
しかし同時に、契約と現場の乖離を正規に是正しにくい制度環境に長年さらされ続けてきたという意味では、不動テトラは1990年代後半以降に形成された政策・制度の「構造的被曝者」であったとも言えます。
不正を個別企業の倫理問題として断罪するだけでは、同じことは必ず繰り返されます。
一方で、制度の問題だけを強調し、企業の責任を曖昧にすることも誤りです。
必要なのは、不正の責任は厳しく問いつつ、同時に、不正を誘発してきた制度と政策のあり方を直視することです。
1990年代後半以降の公共事業政策が内包してきた構造的な歪みが、長い時間をかけて表面化した事例の一つとして、私たちはこの問題を受け止める必要があるのではないでしょうか。


