緊縮の果てに残ったもの──公共投資減少と供給力崩壊

緊縮の果てに残ったもの──公共投資減少と供給力崩壊

「失われた30年」とは、1990年代初めのバブル崩壊以降、日本経済が長く停滞した時代を指します。

ただ、一般に思われているほど、崩壊直後から緊縮財政が始まったわけではありません。

実際には1997年頃までは、政府支出、特に公共事業は一定規模で行われていました。

しかし、1995年の財政危機宣言を契機に、1997年には消費税が3%から5%へ引き上げられ、ここから緊縮財政が本格化し、デフレへの道を歩むことになります。

とりわけ公共事業は「無駄」として槍玉にあげられ、国土をつくる投資は削られ続けました。

こうした公共事業悪玉論に加え、新自由主義の価値観は現在まで行政運営の土台を成し、「財政効率化」「行政のスリム化」が善とされてきました。

支出削減が優先され、投資ではなく節約こそが正義とみなされた結果、公共事業費の縮小と安値受注の一般化が進んだのです。

たとえば川崎市でも、予定価格の6割で落札された大型工事が実際に存在します――これは決して特殊な例ではなく、当時の日本の公共工事全体に共通して見られた風景だったと言えるでしょう。

元請は薄利で工事を請けざるを得ず、下請の経営は圧迫され、倒産や撤退が相次ぎました。

現場を支えてきた技能労働者は業界を去り、若手の参入は進まず、結果として技術の継承と施工能力が細っていきました。

かつて農村の季節労働者に依存していた現場は、人材不足のなかで外国人労働者なくして成り立たない構造へと変化していきます。

そのツケが、今まさに顕在化しています。

読売新聞の調査によれば、最近5年間に認可された市街地再開発事業のうち6割で工期延長や事業費増額が生じ、平均増額は114億円に達しています。

工期も従来の5年前後から7年以上へと延びる例が相次ぎ、物価高・人件費高騰の影響だけでなく、長期の緊縮により施工能力が弱まったことが背景にあると考えられます。

費用高騰によって計画縮小や撤回に追い込まれる事業も見られ、全国の都市整備の停滞は無視できない規模となっています。

失われた30年とは単なる経済停滞ではなく、国の供給力が削られた期間でもありました。

安さを求めることが合理性とされ、支出削減が称揚される一方で、未来の生産基盤となる人材・技術・施工余力が損なわれていったのです。

これから必要なのは、価格競争ではなく、技能と供給能力を維持し育てるための投資です。

公共事業は浪費ではなく、国土を守り、人を育て、将来の豊かさを支える資本形成です。

過度な緊縮を反省し、日本の供給力を回復させる視点と財政政策の大幅な転換こそが求められます。

未来を諦めて節約を続けるのか、それとも未来に投資して国を再び強くするのか。

その決断の時期は、すでに来ています。