香港・新界区大埔の超高層集合住宅「宏福苑」で大規模火災が発生し、159名もの命が奪われました。
修繕工事中であった建物は竹製の足場と防護ネットに覆われ、可燃性の断熱材が窓に貼られていたことから、火は一気に7棟へと延焼しました。
当局は難燃基準を満たさない資材の使用や火災報知器の不作動を確認し、施工会社関係者らを次々に逮捕しています。
安全確保のための工事が、結果として悲劇を拡大させる皮肉な現実となって表れました。
私はこのニュースを見たとき、対岸の火事とは思えませんでした。
むしろ、現在川崎市が推し進めている公共施設の長寿命化政策に潜む構造的なリスクと深く重なるものとして受け止めています。
川崎市は財政負担の平準化を掲げ、橋梁・道路・公共住宅・学校施設などの長寿命化を進めています。
建替えではなく改修と延命を優先し、予防保全型の維持管理へ移行することでコスト削減を図っている背景には、「行政支出は抑制すべき」という政策思想(≒新自由主義思想)が働いています。
限られた財政の中で、既存の資産を最大限活用し、市民サービスを維持しようとする姿勢は一見すると合理的に思えますが、今回の香港火災が示したのは、延命と工事による安全確保が矛盾した瞬間に、思想の善意が現実に裏切られるという厳しい事実でした。
安全のための工事が、可燃資材や足場によって火災拡大の装置になってしまったのです。
川崎市においても、公共施設の改修工事によって同じ構造的リスクが露呈しています。
たとえば本市では、市立労働会館と川崎市教育文化会館の再編整備として、現在の労働会館を大規模改修し、「川崎市民館・労働会館」を設置する工事を令和6年4月から進めています。
当該施設は「建替えより改修のほうが安い」と判断されましたが、労働会館には竣工図が存在せず、開けてみなければ分からない箇所が次々と浮上し、結果として費用は増加し、工期も延びています。
節約のための改修が、むしろ高くつくという逆説的な構造です。
これは竣工図の有無という特殊事情だけでは説明できません。
仮に図面があったとしても、老朽化した内部配管や構造部材の劣化は図面では保証されず、工事開始後に追加補修が必要になる可能性は常に残ります。
これこそが長寿命化政策に内在する現場リスク、すなわち構造問題です。
延命を続けるかぎり老朽部分は残り続け、工事には常に不確実性がつきまといます。
香港の火災と市立労働会館の事例は性質が異なるように見えますが、実は同じ構造の上に立っています。
どちらも思想は善意です。
現場を安全に、施設を維持し、市民にとっての利便性と財源効率を確保したいという願いから始まっています。
しかし、その思想を制度化した「延命・改修」方式が、現場に潜むリスクに負けた瞬間に、思想は逆機能し、結果は真逆に現れました。
香港では命を奪い、川崎では費用と時間を奪いました。
川崎市の長寿命化政策が市民の安全と財政を守る仕組みとして機能するためには、延命を前提とするのではなく、延命に伴うリスク構造を明示化し、建替え・除却という選択肢も含めた総合判断が不可欠です。
開けてみなければ分からない部分のコスト試算、施工時の火災・災害リスク、現場で使用される資材の安全基準、避難動線や高齢化対応など、制度が現実に負けないための備えを持たなければなりません。
悲劇はいつも制度の外側で起きます。
制度の穴を「運」で乗り切るのではなく、先に構造を理解し、制度を現実より強くすることこそ、私たち議会人の責務です。
香港の火災は159名の命を奪いました。
私たちはそれをただのニュースとして受け流してはなりません。
今、川崎市が進めている延命政策に潜む構造問題を直視し、事故や想定外の負担が生じないよう、制度設計そのものを問い直す必要があります。
節約は目的ではなく手段です。
安全と生活を守るという本来の目的を見失わず、未来の川崎市に必要な投資と判断を行っていかなければなりません。
ましてや、命を守るための施設で命を落とすようなことがあってはならない。


