川崎市の教育委員会は現在、学校施設の維持管理について、民間企業へ包括的に委託する「包括管理委託(外部一括アウトソーシング)」の導入を進めています。
理由として、教職員の負担軽減や行政コストの削減が掲げられています。
一見すると、合理的な提案のように聞こえるかもしれません。
では、その包括管理委託とは何でしょうか。
従来、学校の施設管理は、教職員や学校用務員、そして行政の職員が連携しながら行ってきました。
設備保守、修繕、安全点検など、学校を日々支える無数の仕事がそこにあります。
これらを、まとめて一つの民間事業者に発注し、管理を任せる仕組み、それが包括管理委託です。
行政は窓口を一本化でき、業務は効率化され、安く済む場合もある…と教育委員会は説明します。
しかし、この制度には重大な問題が潜んでいます。
まず、学校施設の管理体制が特定の民間企業に依存することになります。
そうなれば行政は発注管理ノウハウ(適切に積算し、発注し、品質を評価する力)を失い、将来的には価格交渉力も失われます。
いわゆる「ベンダーロックイン」の状態です。
さらに、緊急対応が遅れる恐れもあります。
たとえば台風や地震など、学校は避難所にもなる重要な場所です。
そうした“いざ”という時に、契約の範囲や手続きが障壁となり、対応が遅れる。
これは子どもたちの命に直結する問題です。
また、学校を熟知する用務員さんの暗黙知(言葉では伝えきれない経験知)が失われます。
校舎のちょっとした異変を見つけ、すぐに対応してくれる存在は、子どもたちの安全の最後の砦です。
契約書に書けない小さな仕事こそ、大きな事故を防いできた歴史があります。
効率という名の下に削ぎ落とされるのは、まさにその部分です。
制度がもたらす最大の被害者は誰でしょうか。
それは、教室で学ぶ子どもたちです。
そして、子どもたちを支える現場の教職員です。
効率が目的化されたとき、最も弱い立場の存在が犠牲になります。
だからこそ、教育という公共の根幹は、効率だけで測ってはならないのです。
学校は「サービス施設」ではなく、地域と未来を育む共同体です。
守るべき記憶と誇りが詰まった場所です。
子どもの安全と教育環境を市場原理に委ねてよいのでしょうか。
行政は、削減すべきものを間違えてはいけません。
削減されてはならないものこそ、未来そのものです。
川崎の子どもたちを守るために、学校の公共性を守ることは、政治に携わる者の責任だと考えます。
私は、その責任を果たすべく、引き続き議会の場でこの問題を問い続けてまいります。


