危険を回避し、教育を守る ―― 八ケ岳問題の核心

危険を回避し、教育を守る ―― 八ケ岳問題の核心

きのうの川崎市議会・文教委員会において、川崎市教育委員会から「今後の自然教室及び八ケ岳少年自然の家の方向性(案)」が示されました。

内容としては、八ケ岳少年自然の家の用途を廃止し、自然教室は市内外の他施設を活用して実施していくというものです。

八ケ岳少年自然の家については、敷地の一部が土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)に該当し、宿泊棟は建替えを要する「C判定」とされるなど、安全面に関する懸念が指摘されています。

加えて、建替えには概算70〜80億円規模の投資が必要であることも示されており、安全性と費用負担、そして代替可能性という三重の制約が存在します。

これらを踏まえれば、一定の合理的判断が求められることは理解できます。

しかしながら問題は、教育委員会が示した廃止理由が建物側の事情に偏り、自然教育の質をいかにして守るのか、市内青少年団体の活動の受け皿をどのように確保するのか、バス不足や予約集中といった実施面の課題にどのように向き合うのか、といった“未来の教育への責任”に対する解答が欠けている点です。

廃止方針を示すのであれば、その代わりに何をどう保証するのかを同時に示さなければなりません。

私はまず、文教委員会での議論において「自然教育の存続」と「施設の存続」を混同すべきではないと申し上げました。

自然教室は、子どもたちが協働性・自律性・社会性などを学ぶうえで極めて重要な教育機能を果たしています。

これは机上では代替できません。

ゆえに、自然教育の存続は前提であり、議論の対象にしてはならない領域です。

一方で、八ケ岳少年自然の家は自然教育を実施するための手段にすぎません。

目的は自然教育の継続であり、施設はそのために最適化すべき手段です。

守るべきは建物ではなく、そこに宿る教育効果と学びの機会です。

この点からすれば、レッドゾーンに宿泊型教育施設を存続させることは、安全性の観点からあり得ません。

夜間避難が困難であること、代替手段が存在するにもかかわらずあえて危険を選ぶ説明が成立しないこと、巨額投資をしても地形リスクは残り続けること、そして教育機能は他施設で確保できることなど、行政判断として正当化できる材料が見当たりません。

よくある反論として、「市内にもレッドゾーンにかかる学校があるではないか」という指摘があります。

しかし、通学のための不可欠な地域拠点である市内学校と、選択的な宿泊教育施設である八ケ岳少年自然の家とでは、その役割も避難体制も代替可能性も根本的に異なります。

避けられない危険には防御を施す。

避けられる危険は回避する。

これが行政判断の基本原則です。

また、茶室「小高庵」のような文化施設の場合は建物自体の価値が保存対象となりますが、八ケ岳少年自然の家は社会教育施設であり、存続理由はまったく異なります。

施設そのものではなく、教育機能を継続させることにこそ意味があります。

八ケ岳の議論こそ、施設をどうするかではなく、自然体験教育の未来を誰がどう守るのかという問題です。

その責任を問う議論へと進めなければなりません。

私は、子どもたちの学びと成長を守り抜くために、教育効果の質保証と移行措置の充実、そして市内青少年団体の活動基盤の確保を求め続けてまいります。

行政は、教育の未来に対する責任から逃げてはなりません。