ビットコインは通貨になれない――思想バブルの末路

ビットコインは通貨になれない――思想バブルの末路

代表的な暗号資産(仮想通貨)のビットコイン価格が18日、急落しました。

一時は1BTC=8万9300ドル(約1400万円)台と、7カ月ぶりに9万ドルを割り込みました。

FRB(米連邦準備理事会)による年内利下げ観測が後退し、投資家心理が一気に冷え込んだことが背景だとされています。

しかし、これは単なる相場変動ではなく、より深い構造的問題を示唆しているのではないでしょうか。

暗号通貨は「国家から自由な通貨」という理想を掲げ、テクノロジーとリバタリアニズムが融合した夢として急成長してきました。

ところが、その夢の基盤を支える貨幣観そのものに、通貨として致命的な欠陥が存在しています。

ビットコインは、発行上限が2100万BTCと決められており、マイニングと呼ばれる高度な数理処理によって発行されます。

採掘が進むほど難易度が高まり、稀少性が保たれる設計になっています。

この稀少性こそが価値を支えるとされており、金貨や銀貨など貴金属貨幣と同様の発想、すなわち「商品貨幣論」に依拠しています。

言い換えると、ビットコインは電子化された金貨のようなものです。

要するに、仮想金貨。

使われるより、飾られる通貨です。

しかしここに、大きな矛盾があります。

通貨が社会において機能するためには、誰もが利用できる十分な流通量が必要です。

一方で、ビットコインの価値は稀少であることに依存しています。

このため、もしビットコインが広く流通すれば、稀少性が失われ価値が暴落します。

逆に、稀少性を保とうとすれば流通量が不足し、深刻なデフレ状態に陥ります。

つまりビットコインは、流通すれば価値が崩れ、価値を維持すれば流通できないという、自己矛盾を抱えているのです。

そもそも通貨とは、国家が法と税を背景に保証する信用制度です。

イングランド銀行の解説にも「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済で交換手段として受け入れられた特殊な負債である」とあります。

貨幣は商品ではなく、公的な信用システムによって支えられた債務なのです。

一方、暗号通貨は国家の外側に貨幣を成立させようとするリバタリアン的発想が、その設計思想の根底にあります。

だからこそ、国家が担うべき信用の基盤が存在せず、稀少性と流動性の矛盾を解決できません。

いかに先端技術を用いても、制度なき通貨は通貨たり得ないのです。

華やかな価格上昇やテック界隈の熱狂によって、暗号通貨は未来の金融を担う存在のように語られてきました。

しかし実態は、19世紀的な貨幣観をデジタル技術で焼き直したにすぎません。

そこにあるのは、国家の役割を過小評価した自由市場信仰という思想のバブルです。

今回のビットコイン急落は、まさにその幻想が揺らぎ始めた兆候ではないでしょうか。

暗号通貨は、国家の信用制度を代替する力を持たず、通貨として根本的に成立しないのです。

相場の浮き沈みに一喜一憂するのではなく、貨幣の本質を見誤った思想が作り出したバブルだと認識すべきです。

国家を捨てた通貨は滅びる。