アクセルを踏む高市首相、ブレーキを踏む日本維新の会

アクセルを踏む高市首相、ブレーキを踏む日本維新の会

高市早苗首相が掲げる政権理念は明快です。

「プライマリーバランス(PB)の黒字化にこだわらず、必要な支出は大胆に行う」。

それは長らく続いた緊縮財政への反省であり、国力回復のための国家投資を重視する方向転換にほかなりません。

防衛、科学技術、インフラ、地方創生。

どの分野においても、財政均衡よりも国民生活の再建を優先するという姿勢は、久しく政治から失われていた「国家戦略の筋道」を取り戻そうとするものです。

しかし、理念は理念として掲げられても、現実の政策運営においては、必ず「政治的かつ制度的な障壁(しがらみ)」という見えない壁が立ちはだかります。

とりわけ医療や社会保障の分野では、その壁が最も厚く、深く、しかも制度として厳然と固定化されています。

高市政権が発足しても、厚生労働省の医療制度改革は前政権の「既定路線」のままで、その典型が高額療養費制度の上限引き上げ案です。

これは患者負担を増やし、医療アクセスを狭める内容でありながら、「制度の持続可能性」という言葉の下に粛々と進められてきました。

さらに、連立を組む日本維新の会は「病床削減」や「公立病院の統廃合」を主張しており、政府内の医療政策は、むしろ再び“効率化優先”の方向へと引き戻されつつあります。

厚労省の官僚たちは、「財政均衡」「効率化」「応能負担」という三つの言葉を掲げながら、制度を“安定的に維持すること”を至上命題として行動します。

それは理念というよりも、「慣性」です。

新政権が発足しても、行政のレールはすでに敷かれており、政治がその方向を変えることは意外に容易ではありません。

さらに、高市政権は日本維新の会との連立合意によって成立しています。

ネオリベラリズム(新自由主義)政党である維新は小さな政府を是とし、医療・教育・福祉において「民営化」「効率化」を重視する立場です。

高市首相が掲げる「積極財政」とは本来、国民生活の底を支える公的部門の強化を意味しますが、維新の理念とは方向性が正反対です。

そのため、政権の内部では「理念と制度」、「積極と抑制」がせめぎ合うことになります。

たとえば、医療費を国の内需・雇用創出と捉えるべきところを、財政コストとして削減対象にする発想が依然として根強く残っています。

ここで、理念は妥協を迫られます。——理性的妥協です。

しかし、その妥協はやがて、制度・官僚・連立という「体制的な縛り」によって固定化され、政治家自身が自らの理念に反する政策を“選択させられる”状況に追い込まれていくのです。

結局のところ、高市政権が直面しているのは、「既存の仕組みの中で理性を働かせるか、それとも理性によって仕組みを変えるか」という政治の根源的命題です。

理性的な妥協は、現実の政治運営には不可欠です。

しかし、制度の壁があまりに厚ければ、その妥協はいつしか“屈服”へと転化します。

行政の自己保存的な仕組みが、政治の創造的な意志を上回る瞬間、理念は形骸化し、政策はいつしか制度に従っていきます。

かつて幣原喜重郎が国際協調の理性を掲げながら軍部の圧力に屈したように、あるいは橋本龍太郎が財政構造改革法という法制度の檻に閉じ込められたように、今日の高市政権もまた、官僚制・財政制度・連立政治という三重の「体制の縛り」の中で試されているのです。

もしもこの壁を打ち破り、政治が再び「理性によって制度を変える主体」となれるならば、それは戦後政治の大転換となるでしょう。

しかし、制度の力が理性を呑み込むならば——またしても日本は、理念なき“仕組みの国”として漂流を続けることになります。

アクセルを踏む高市首相、ブレーキを踏む日本維新の会——これから上り坂を登らねばならぬのに。

政治とは、見えぬ障壁(しがらみ)に抗う理性の最後の砦である。