(前回記事「平和は願いでは守れない――構造を読む力こそ国の戦略」の続き)
前回述べたとおり、戦争は国家の意思によってではなく、国際秩序の構造によって生み出されます。
では、その構造の中で、なぜ日本は戦争を止められなかったのか。
そして、なぜ敗戦という結末に至ったのか。
この問いに対する答えは、——日本の開戦と敗戦は、当時の国際構造と経済構造の中で、理性だけでは止められないほどの必然性を帯びていた——と言わざるを得ません。
当時の日本は、資源を海外に依存する経済構造を抱えていました。
海上輸送路が途絶えれば国家が立ち行かなくなるという宿命を背負い、その生命線を握っていたのが英米蘭の植民地圏でした。
経済封鎖はすなわち国家の窒息を意味し、戦争は「選択」ではなく「反応」として起こりました。
いかなる政府であれ、国民の生活を支えるためにはエネルギーと資源を確保しなければなりません。
もし外交が行き詰まり、輸入が止まり、備蓄が尽きるとすれば、戦わずして滅びるか、戦って活路を求めるか――その二択しか残されない。
すなわち、日本の開戦は、政治の激情ではなく、構造が決断を代行した結果だったのです。
そして、その構造こそが、同時に敗戦をも決定づけていました。
なぜなら、資源を確保するために戦争を始めた国は、戦争を続けるための資源をも海外に依存していたからです。
米国による通商破壊戦で補給線が断たれた瞬間、日本は開戦の理由そのものを失い、同じ構造に飲み込まれて敗れました。
開戦と敗戦は、異なる出来事ではなく、同じ構造の表と裏だったのです。
もちろん、当時の政治家や軍人に誤りがなかったわけではありません。
しかし、彼らの過ちを「愚かさ」や「意志の弱さ」として断じるのは容易です。
問題は、どれほど理性的であっても、構造そのものが理性を押し流してしまうということです。
理性的妥協は存在したが、構造的制約のほうがはるかに強かった。
この非対称こそが、理性の敗北であり、構造の悲劇にほかなりません。
したがって、戦争を防ぐために必要なのは「善意」ではなく、構造を見抜き、変える力です。
国際秩序の潮流を誤読せず、国家の存立を確保し得る経済と外交、そしてその外交を支える軍事力を構築することです。
それが、平和を守る唯一の現実的手段です。
理想を語るだけでは、構造の圧力には抗えません。
平和とは、理性が構造に敗北しないように不断の努力を続ける状態なのです。
そして最後に、私たちはこのことを忘れてはなりません。
人は悲劇を理解しようとするとき、どうしても「誰のせいか」を探したくなります。
しかし、そこに落とし穴があります。
責任を「愚かな政治家や軍人」に帰すことで、私たちは一時的な安心を得られます――「自分たちは同じ過ちは犯さない」と。
けれどもそれは、構造そのものを温存したまま、形を変えて再現する危険な自己免罪でもあります。


