米カーネギー国際平和財団のシニアフェローであるダラ・マシコット氏は、最近の論文「再生したロシア軍――戦闘経験から学習・応用へ」の中で、ロシア軍の変化を詳細に分析しています。
同氏によれば、ロシアは2022年のウクライナ侵攻初期に大きな失敗を経験したものの、その後、戦闘経験を体系的に検証し、教訓を抽出して軍全体に共有する「学習エコシステム」を密かに構築したといいます。
具体的には、戦場の観察を専門とする研究者を前線に派遣し、戦闘報告や日誌を分析して「教訓報告書(lesson learned report)」を作成、それを軍事アカデミーや軍需企業、大学、さらには技術系スタートアップにまで共有しています。
こうして得られた知見は、訓練プログラム、装備改良、戦術マニュアルといった分野に即座に反映され、現場の兵士教育にも活かされているのです。
マシコット氏は、こうした「戦争を通じた制度的学習」がロシア軍を再生させつつあると指摘します。
もちろん、腐敗や規律の欠如といった旧弊は残るものの、ロシア軍は失敗を資源に変える力を持ちつつあり、それが欧米にとって新たな脅威となりつつあると警告しているわけです。
一方、米国の政治学者ジョン・ミアシャイマー氏は著書『リベラリズムという妄想(The Great Delusion)』で、リベラルな理想主義が国際政治の現実を見誤らせてきたと批判しています。
彼の言葉を借りれば、リベラリズムとは「国家の自己保存本能を忘れた妄想」であり、普遍的価値や制度主義に基づいて世界を改造しようとする試みは、結局、国家の安全を危うくするものだというのです。
彼はまた、米国が冷戦後に掲げた「リベラル・ヘゲモニー(自由民主主義の普遍的拡張)」は、現実主義的なパワー競争の法則に反しており、結果として世界をより不安定にしたと述べています。
国家は理想ではなく「生存」「力」「安全」を中心に行動する――これがミアシャイマーの一貫した現実主義的立場です。
つまり、国家の行動原理は理想や価値ではなく、現実の環境変化に適応し続ける「学習する力」と「力を再配置する意志」にあります。
マシコットが描いたロシア軍の変化も、このミアシャイマー的リアリズムの実証例と見ることができるでしょう。
マシコットの論文とミアシャイマーの主張を照らし合わせると、結局のところ、国家とは「学習するか否か」によって運命が分かれるのだと痛感します。
リベラルな理念を掲げて理想社会を夢見る国家が、現実の脅威への適応力を失えば、それはもはや独立国家ではありません。
一方で、制裁や孤立に直面しながらも、自らの失敗を検証し、組織を再編し、技術を磨く国家は、たとえ一時的に敗れても再び立ち上がります。
ロシアの事例は、その冷徹な現実を私たちに突きつけています。
では、日本はどうでしょうか。
敗戦以来、我が国は「戦争を学ぶ」ことを封印し、「平和を信じる」ことを制度化してきました。
その結果、戦争だけでなく、経済・防災・医療・教育といったあらゆる分野で「失敗を教訓に変える回路」を失っています。
戦後日本は、まさにミアシャイマーが警告した「リベラリズムという妄想」に囚われた国家です。
理念に忠実であろうとするあまり、現実への学習を怠ってきました。
一方のロシアは、理念を持たずとも現実を学び取る国家へと変貌しつつあります。
国家とは、本来「学ぶ存在」でなければならない。
それは教育の問題ではなく、制度の問題です。
経験を制度に反映し、失敗を組織の知に変える――その能力こそ、国家の生存力にほかならない。
私たちがいま問われているのは、「理想を語る力」ではなく、「現実から学ぶ力」です。
戦争を通じて学ぶ国家と、戦争を通じて忘れた国家。
その差が、21世紀の文明を分けるのです。


