出光興産の創業者・出光佐三は、日本的経営の原型を体現した人物として知られています。
「人間を利潤の手段とするな。利潤を人間の幸福の手段とせよ。」という彼の言葉は、いまなお多くの経営者に引用されます。
彼の経営は、合理性よりも信頼を重んじ、規則よりも人間の良心を信じるものでした。
タイムカードも出勤簿もなく、解雇も定年もなく、労働組合すら不要という「四箇条」は、その象徴でした。
それは単なる理想主義ではなく、信頼を基礎にした共同体的経営という明確な哲学に裏打ちされていたのです。
一方、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、資本主義の本質を「創造的破壊」として描きました。
しかし彼が晩年に到達した結論は意外なものでした。
彼は「資本主義は失敗によってではなく、成功によって滅びる」と予言したのです。
資本主義の成功は、社会全体に「合理主義の精神」を広めます。
人々は損得を計算し、効率を追い、非合理な行動を避けるようになります。
その結果、子どもを持つことすら「経済的に不合理」と考えるようになり、「家族のために財を築く」「次の世代に残す」といった長期的な動機(家族同機)が失われます。
人間の視野が短くなれば、長期的リスクを伴う投資や基礎研究は行われなくなります。
こうして、資本主義は自らの成功によって、創造の源泉を失っていく――それがシュンペーターの見た「成功による自己破壊」でした。
出光佐三の経営は、このシュンペーター的警告に対する最も見事な実践的解答だったと言えます。
出光は、「経済合理性よりも人間性を信じる」という信念のもと、会社を単なる利益追求の場ではなく、「人がともに生き、成長する家族」とみなしました。
この思想が、出光経営の根幹をなしていたのです。
つまり、合理的であれば解雇し、効率的であれば機械に任せる——その逆を行ったのです。
人間は機械ではなく、情と信頼によってこそ力を発揮すると考えたわけです。
社員が会社に人生を託し、会社が社員の生涯を支える。
この相互信頼の共同体的構造こそが、シュンペーターの言う「資本主義を生かし続ける非合理的な力」でした。
戦後日本の高度成長は、まさにこの非合理主義的な日本的経営に支えられていました。
終身雇用と年功序列は、単なる制度ではなく、「人間の視野を長期化させる装置」でした。
社員は家族のような共同体の中で、次世代のために努力し、会社も社員の未来を守る。
それが壊されたのが、1990年代以降の新自由主義に基づく「構造改革」です。
市場競争を美徳とし、合理化を至上とする改革は、シュンペーターが最も警戒した「合理主義の暴走」そのものでした。
結果として、日本は長期的視野を失い、「失われた30年」へと向かっていったのです。
シュンペーターは、資本主義が行き詰まるとき、それを再生させるのは「非合理的な動機」――すなわち情熱・信仰・使命感のような力だと見抜いていました。
出光佐三の経営はまさにその実証でした。
彼の会社は合理的経営とは真逆を行きながら、結果として100年以上にわたり安定と成長を続けてきたのです。
世界が再び「合理主義の罠」に沈み、AIと市場原理が人間を支配しつつあるいまこそ、出光佐三の“非合理の哲学”こそが、シュンペーターの理論を超えて、資本主義の未来を照らす灯火となるべきです。


