横須賀造船所から始まった日本近代

横須賀造船所から始まった日本近代

NHKは、令和9(2027)年の大河ドラマが、小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)を主人公とする『逆賊の幕臣』であることを発表しました。

文部科学省の学習指導要領では、「日本の近代化は明治の文明開花に始まる」と記され、「世界遺産・富岡製糸場(明治5年〜)を例に挙げて指導するように」と教員に求めています。

こうして、富岡製糸場こそが日本近代化の出発点であると、子どもたちに教えてきたのです。

しかし、これは史実として明らかな誤りです。

日本の近代化の発祥の地といえば、紛れもなく小栗が手がけた「横須賀造船所」にほかなりません。

横須賀造船所は慶応元(1865)年に建設が始まり、慶応4(1869)年——この年の9月から明治元年——には、造船所内のほとんどの工場で蒸気機関が稼働し、すでに本格的なものづくりが行われていました。

横須賀造船所は、製糸場とは異なり、あらゆる工業製品を生み出すための総合工場でした。

富岡製糸場で用いられた技術の多くは、すでに横須賀造船所で導入されていたものであり、あの特徴的な赤茶色のレンガ造りの建物様式も、実は横須賀造船所を手本としたものです。

小栗は、幕閣の強い反対を押し切って横須賀造船所の建設を推し進めました。

「たとえ徳川幕府の命運が尽きようとも、日本という国の命運まで絶やしてはならない」——彼はそう信じていたのです。

小栗は、海洋国家である日本が自らの力で国防を確立するためには、軍艦を自前で建造し、補修・管理できる体制を国内に整えることが不可欠であると理解していました。

その必要性を完全に理解していた、ほとんど唯一の日本人だったと言ってよいでしょう。

一方で、同じく幕臣の勝海舟は、「軍艦など、その時々に安く売ってくれる外国から買えばよい」と語ったと伝えられています。

まるで今日の新自由主義者のような発想です。

のちに東郷平八郎元帥は、「あの日、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造ってくれたおかげです」と、小栗の子孫に感謝の言葉を述べたと伝えられています。

現在も、小栗の菩提寺である群馬県高崎市の東善寺には、東郷平八郎が感謝の意を込めて揮毫した「仁義礼智信」の扁額が掲げられています。

にもかかわらず、学習指導要領のどこにも「横須賀造船所」の名が見当たらないのは、言うまでもなく小栗が明治政府にとって都合の悪い人物だったからです。

あまりにも小栗が優秀だったがゆえに、明治政府は彼を恐れました。

明治新政府にとって不都合な人物は、すべて「逆賊」とされたのです。

したがって、NHKの大河ドラマのタイトルが『逆賊の幕臣』であるのも、象徴的と言えるでしょう。

そろそろ学習指導要領にも「小栗上野介忠順」「横須賀造船所」「遣米使節団」を明記し、日本の近代化を支えた真の功労者の名を、子どもたちに教えるべきときです。