去る10月10日の朝、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスとの停戦合意が発効しました。
イスラエル軍はこれを受け、ガザの一部地域から部隊を部分的に撤退させたと発表しています。
この停戦は、トランプ米大統領が示した停戦および人質返還案の第1段階を、イスラエル政府が9日に承認したことで実現しました。
次の段階については、いまもなお交渉が続いています。
一見すれば、ようやく緊張が和らいだように見えるこの報せも、その背後には、幾世代にもわたり続いてきた人々の苦悩と不安が横たわっています。
世界には、いまだ自らの国家を持つことができない人々がいます。
その一例が、パレスチナの人々です。
彼らは長い歴史のなかで、この地に根を下ろし、家族とともに暮らし、生活を営んできました。
しかし20世紀の国際政治の流れの中で、その運命は大きく揺さぶられました。
世界の大国たちの思惑と利害が交錯するなかで、彼らの暮らしはしばしばその都合に左右され、自らの意思とは無関係に歴史のうねりへと巻き込まれていきました。
いまもなお、行政や安全、移動の自由など、多くの権利が制約される状況が続いています。
日常の暮らしを守ること、子どもを教育すること、働き、老いていくこと、そのすべてが他国や情勢の影響を受けざるを得ないという現実は、「国家を持たない」ということの重さを、私たちに深く考えさせます。
私たち日本人は、国を失った経験を持ちません。
戦争の敗北や占領を経ても、国家の枠組みそのものは途切れることなく続いてきました。
このことは、世界史的に見てもきわめて稀な幸運と言えるでしょう。
だからこそ、国家をもつということの意味を、私たちは今一度、静かに考え直す必要があります。
国があるからこそ、教育があり、医療があり、選挙があり、私たち一人ひとりの尊厳が守られています。
それは、当たり前のようでいて、実は極めて貴重なことです。
国家をもつ幸福とは、単なる安定や豊かさのことではありません。
それは「自らの未来を自らの意思で決められる」という自由のかたちです。
同時に、それは次の世代にこの国を引き継いでいくという責任でもあります。
パレスチナの人々の現実を知ることは、他国を批判することではなく、「国をもつとは何か」「国民であるとは何か」を改めて自分の中に問い直す機会なのです。
国家とは、ただ存在するものではなく、国民が支え続ける意志によって生き続けるものです。
私たちが国家をもつという幸せを自覚し、その重みを次の世代へと受け渡していくこと。
それこそが、誇るべき日本国に生きる私たちの使命ではないでしょうか。