覇権国とは何か。
それは単なる軍事大国ではなく、国際秩序のルールを定め、通貨や貿易の仕組みを支配し、世界経済と安全保障を主導する国のことです。
いわば「世界の公共財」を供給する代わりに、自国の通貨と制度を世界に浸透させる存在です。
では、覇権国とは意志によってなるものなのでしょうか。
それとも、気がついたら覇権国になっていたという偶然の結果なのでしょうか。
歴史を振り返ると、その成立は多くの場合「偶然」に近く、しかし維持には「強い意志」が不可欠だったと考えられます。
19世紀の英国はその典型でした。
産業革命を背景に製造業と貿易で圧倒的な競争力を誇り、その結果、経常黒字が積み上がりました。
黒字で得られた余剰資金は鉄道や港湾、鉱山や植民地開発に投資され、ポンド建て金融商品が世界中に流通しました。
さらにロンドンは国際金融の中枢となり、ポンドは金本位制による信頼を背景に各国の準備通貨となりました。
こうして英国は覇権国となり、黒字を資本輸出に変えることで覇権を維持したのです。
これに対して米国は、戦後の国際秩序の中で必然的に覇権国を担うことになりました。
しかし米国は英国とは異なり、赤字を通じてドルを世界に流す「赤字覇権モデル」を採用しました。
赤字こそがドルを世界に流し、そのドルが基軸通貨としての地位を支え、国際決済通貨として機能する仕組みとなりました。
つまり米国は「赤字を続けること」によって覇権を維持してきたのです。
ところが、このモデルには構造的な脆弱性があります。
ドルの信認が揺らげば、各国はドル離れを起こし、覇権は崩壊しかねません。
だからこそ米国は、軍事力を背景にドル体制を守り、米国覇権への挑戦者を力で排除せざるを得ないのです。
イラクのフセイン政権、ベネズエラのチャベス政権、リビアのカダフィ政権が、石油取引をドル以外の通貨で行おうとした結果として米国の強硬な介入にさらされたのは、象徴的な出来事でした。
英国が黒字と金融システムで覇権を支えたのに対し、米国は赤字と軍事力で覇権を守り続けています。
この構造の違いこそが、米国がたびたび武力に訴える背景を理解する鍵なのです。
そして改めて痛感するのは、日本において「覇権国」という存在が自国の政治や経済に与える影響に対する意識が極めて低いということです。
政治家も有権者も、しばしば国内政策だけで完結するかのように議論しますが、実際には米国覇権の構造に深く規定されています。
ドルの金利政策ひとつで日本経済は大きく揺れ、米中対立の展開次第で産業戦略も安全保障も直撃を受けます。
覇権国の存在を「外部環境」ではなく「制度的前提」として捉えなければ、真に持続可能な政治経済の議論は成り立たないのです。
結局のところ、米国が軍事力に依存するのは好戦的だからではなく、米国の覇権モデルそのものが戦争を不可避にしているのです。
その現実を直視し、覇権国の構造が我が国にどう影響しているのかを理解することこそ、日本の政治と有権者に求められている意識だと言えるでしょう。
この意識を欠いたままでは、日本の政治も経済も時代の変化に対応できません。