川崎市役所の新庁舎は25階建てで、最上階は展望フロアになっています。
フロア北東側の窓からは東京都心が一望でき、多摩川に架けられた鉄道橋からJR東海道線の線路が、もののみごとに一直線に都心に向かっていく様がみてとれます。
東海道線の前身にあたる新橋・横浜間の鉄道は、英国からの物資や技術的な支援を受け、明治維新後に開通した日本最初の鉄道です。
この横浜港と東京を結ぶ日本初の英国製の輸送インフラは、むろん経済発展という目的もあったのでしょう。
けれども同時に、横浜に上陸した英国陸軍がこれを利用し、ただちに首都東京を制圧できる軍事インフラでもあったのではないか、と私は考えています。
明治維新後、日本は近代国家への歩みを進めるなかで、英国から多大な支援を受けました。
鉄道や港湾、金融制度などの整備は、確かに経済発展の基盤を築きました。
しかしその背後には、英国が自らのアジア権益を守るために日本を「前進拠点」として位置づける意図があったことを否定できません。
新橋と横浜を結んだ鉄道は、経済的合理性の象徴であると同時に、有事には首都東京を制圧するための軍事動線ともなり得たのです。
英国にとって日本の存在論は「アジア通商・軍事ネットワークに組み込まれた拠点」でした。
一転して戦後は、我が国は敗戦国として米国のアジア戦略に組み込まれました。
安保体制の下、横須賀・横田・沖縄などの米軍基地は冷戦期のソ連、そして現代の中国をにらむ軍事前線として機能しています。
さらに羽田空域の管制権を米国が保持し続けていることは、万一の場合に日本政府の意思を迂回して東京を掌握し得る態勢を維持していることを意味します。
米国にとっての日本は「同盟国」であると同時に、「アジア戦略の要石」として存在づけられてきたのです。
このように、時代は異なれど、英米にとっての日本の存在論は一貫して「アジア支配の拠点」でありました。
英国は間接的にインフラを通じて日本を自国のネットワークに組み込み、米国は制度的・軍事的に安保体制に組み込んだという違いこそあれ、いずれも大国の戦略に従属する形で日本の位置づけは決定されてきたのです。
だからこそ、いま私たちが問うべきは、日本自身にとっての存在論とは何か、ということです。
すなわち、日本が国際秩序において、いかなる役割を果たし、どの価値を守り、どの利益を追求するのか。これらを自らの意思と戦略で定めてこそ、真の主権国家としての日本を構築することができます。
英米が規定してきた「日本の存在論」を受け身で引き継ぐのではなく、私たち自身が独自の戦略をもって「日本の存在論」を定める。
これこそが、次世代に託すべき未来への課題ではないでしょうか。