第二次冷戦の現実_相互依存を武器化する時代に日本はどう備えるか

第二次冷戦の現実_相互依存を武器化する時代に日本はどう備えるか

ネオリベラリズム(新自由主義)、すなわち新古典派経済学に基づく市場万能主義は、現代世界の経済と政治を大きく歪めてきました。

市場原理の優先、規制緩和、株主資本主義の拡大は、確かに短期的に株主利益をもたらしたが、その代償として格差の拡大や国内社会の分断を引き起こしました。

欧州におけるいわゆるポピュリズム政党の台頭や、米国におけるトランプ政権の誕生は、まさにその帰結にほかなりません。我が国においても、先の参議院選挙で参政党など「日本人ファースト」を訴える勢力が躍進したことは、この流れと地続きの現象だと考えます。

その一方、近年、イーロン・マスク氏らに象徴される「テクノ・リバタリアン」と呼ばれるネオリベラリズムより過激で危うい思想潮流が台頭しています。

AIやブロックチェーンを梃子に、国家や通貨制度、規制を不要とする「ネットワーク国家」を構想し、暗号通貨やDAOによって経済・言論を無制限に自由化しようとする試みは、従来の新自由主義をさらに突き抜けた過激な自由放任主義にほかなりません。

とはいえ、テクノ・リバタリアンたちが構想する社会の到来は、現実味に乏しく実際には到来し得ないと考えます。

現実の国際社会は、依然として主権国家を基盤とし、大国間による秩序形成をめぐる攻防が繰り広げられると見るべきです。

それぞれの大国が、経済・金融・技術・資源、さらには通信やエネルギーをはじめとするインフラの要衝を掌握し、それらを武器化することで秩序を維持し、あるいは変更を試みることでしょう。

イーロン・マスク氏が、どれほど暗号通貨や分散型組織の利便性を強調しようとも、実際にはドルの基軸通貨性や半導体製造装置、海底ケーブルやエネルギー供給網といった国家が管理するシステムが国際秩序を左右しているのです。

この「要衝の掌握」をめぐる競争は、とりわけ米中間で顕在化しています。

かつての米ソ冷戦と比べると、現在の状況は次の点で本質的に異なります。

第一に、米ソ冷戦は資本主義と共産主義という明確なイデオロギー対立と軍事同盟の二分構造が軸でした。

核抑止と代理戦争が主な手段で、ソ連陣営は比較的自給自足で西側との相互依存が薄く、世界は二大ブロックに分かれて結束を優先しました。

これに対し、現在の米中対立はイデオロギー色が相対的に薄く、覇権とネットワーク支配、すなわち経済・技術・金融・資源・インフラの結節点をめぐる攻防が中心です。

経済制裁、輸出規制、最先端半導体や通信規格をめぐる覇権競争、ドル体制や決済網の武器化が主要手段となり、当事国を含む各国は深い相互依存関係にあるため、米ソ時代のような完全分断は現実的ではありません。

むしろ「相互依存そのものを武器化する競争」によって、部分的なブロック化と結節点の奪い合いが進む点に特色があります。

要するに、第一次冷戦が「分断と自立の時代」だったのに対し、第二次冷戦は「相互依存とその武器化の時代」です。

現代の対立は、軍拡や大規模地上戦といった軍事面に比べ、経済・技術ネットワークの支配が中心に据えられます。

どの国がサプライチェーン、基幹ソフトや標準、データ回線や衛星網、資源と決済のハブを押さえるかが、外交力と安全保障を左右するのです。

このような国際環境のもとで、日本が取るべき姿勢は明らかです。

これまでのような対米追随では、我が国の安全保障も経済基盤も守れません。

独自の戦略を練り、主体的に秩序形成に関与すべきです。

具体的には、①エネルギーと食糧の安全保障を国家責務として再設計すること、②先端半導体・通信・宇宙・量子など基盤技術の国内生産力と標準化戦略を統合的に整備すること、③ドル決済網や主要プラットフォームに過度に依存しない多層的な金融・情報インフラを構築すること、④経済安保と産業政策を連結させ、原則的に国内立地を確保したうえで、同盟・友好国との「分担と相互補完」の生態系を設計すること、を急がねばなりません。

ネオリベラリズムの弊害を反省し、テクノ・リバタリアンの幻想に惑わされることなく、国家の実力と戦略を取り戻すこと。

これこそが、新冷戦時代において日本が生き残り、国民の生活と産業を守るための必須条件であると考えます。