裁判長が管轄権を提示できなかった特異な裁判、いわゆる東京裁判では、日本が満洲国などの占領地において阿片・麻薬取引を制度化し、その収益を戦費調達の主要財源に充てていた事実が断罪されました。
判決文では、単なる副収入ではなく「侵略戦争の一部を構成する資金源」として位置づけられ、国際条約違反として厳しく糾弾されたのです。
しかし一方で、当時の白人列強、イギリス、フランス、オランダなども、自らの植民地で阿片専売制度を維持し、歳入の二〜三割を阿片収益に依存していました。
香港やインドシナ、東インドにおいては、現地住民の中毒を犠牲にしつつも「植民地経営のための財源」として阿片が容認され続けていたのです。
ところが東京裁判では、この列強による阿片製造・専売は問題とされず、日本のみが裁かれました。
つまり、「植民地支配のための阿片は黙認され、戦争遂行のために阿片製造へ依存せざるを得なかった日本が断罪される」という、きわめて露骨なダブルスタンダードが貫かれていたのです。
ではなぜ、日本は戦争遂行のために阿片製造に依存せざるを得なかったのか。
この点を現代貨幣理論(MMT)の観点から考えると理解が深まります。
MMTによれば、自国通貨建ての国債発行には上限がなく、唯一の制約は国内のモノやサービスを生み出す供給能力です。
供給余力があれば通貨は発行でき、担保は不要です。
ところが大東亜戦争期の日本は、石油・鉄鉱石・ゴムなど戦略物資の大半を輸入に依存しており、これらは円では購入できず、ドルやポンドといった外貨が不可欠でした。
国内工場は軍需に総動員され、供給力はすでに限界に達しており、円をいくら発行しても資源を買う購買力には転化できなかったのです。
そこで日本は、国際的に需要のある阿片を製造・流通させ、その収益を外貨に換えることで、戦争遂行に必要な物資を調達しました。
ちなみに、ヒトラーが麻薬中毒者であったことは有名で、彼が求めた麻薬は日本製であったとする説も存在します。
阿片はまた、占領地通貨や軍票、公債の裏付け資産としても用いられ、事実上「通貨発行を支える供給力」として組み込まれました。
この構図を比喩的に言えば、当時の日本は「事実上の阿片本位制」によって戦争を戦ったことになります。
金本位制が金を裏付けに通貨を発行したように、日本は阿片の供給力を裏付けに戦費を調達していたのです。
東京裁判はこの仕組みを断罪しましたが、その一方で列強の植民地経営における阿片依存には目をつむった。
ここに、戦後国際秩序の不均衡と勝者の論理が浮かび上がります。
現代の私たちにとって重要なのは、この歴史を単なる過去の特殊事例として片づけないことです。
経済や通貨の仕組みは、常に国際関係や地政学的な力学と結びついており、供給力と通貨発行の関係をどう保つかは今も変わらぬ課題です。
阿片本位制という苦肉の策に依存せざるを得なかった当時の日本の姿は、今日の日本がエネルギーや食料をどのように確保し、通貨主権を守るかを考えるうえで、多くの示唆を与えているのではないでしょうか。