歴史を振り返れば、軍事は常に外交の背景として存在し、政治を支えてきました。
軍事力の裏付けを欠いた外交は説得力を持たず、逆に政治から切り離された軍事も存在し得ません。
軍事と外交は不可分であり、この厳然たる現実を無視しては、国家の独立も平和も守ることはできません。
その一例が、ロシアのプーチン大統領と米国のトランプ大統領の関係に表れています。
プーチン大統領がトランプ大統領の呼びかけに応じて交渉のテーブルについたのは、米国の背後に圧倒的な軍事力が存在するからに他なりません。
もしルクセンブルクのアンリ大公が同じ呼びかけをしても、プーチン大統領が応じることは決してないでしょう。
外交が力によって裏打ちされていることを、これほど端的に示す例はありません。
そして現代において、この「軍事と外交の不可分性」を改めて突き付けているのが、ロシア・ウクライナ戦争です。
その理由は以下のとおりです。
侵攻開始当初は砲撃戦が中心でしたが、やがて戦場は「ドローン主体の戦争」へと劇的に変化しました。
2024年以降、ウクライナは長距離ドローンでロシア領内を攻撃し、短距離ドローンでロシア軍の地上攻撃を防ぐ体制を確立しました。
従来の砲撃戦は「火力と兵站の多寡」で勝敗が決まりやすく、大国同士の正規戦では軍事力の総量が外交力の裏付けとなっていましたが、ドローン戦争になると「安価・大量生産・迅速改良」という要素で戦力が急速に変動します。
つまり、最新技術を実戦に取り込み、軍事力として具現化できる国が、外交においても主導権を握るのです。
軍事のあり方そのものが変化した結果、外交の力学もそれに従って再編されている、という意味で「不可分性を突き付けている」と言えます。
また、ロシア・ウクライナ戦争では、戦場が事実上のR&D(研究開発)の場となり、米国や欧州はそこから技術と戦術データを吸い上げています。
この軍事的成果は、同盟関係や支援関係を通じて外交カードとなっています。
たとえば米国は「ウクライナへの支援=自国防衛力の強化」という構図を外交戦略に組み込んでいます。
軍事的な成果や実験がそのまま外交資源になることは、軍事と外交が切り離せないことを示しています。
第三の理由は、ドローンが「弱者でも強者を食い止め得る」非対称戦力となっていることです。
これは、中小国であっても軍事力の工夫次第で外交的発言力を得られることを意味します。
逆に言えば、軍事的工夫を怠る国は、外交の場でますます無力化していくのです。
このように、いまやドローンは砲弾に代わる戦争の生命線となりつつあります。
ウクライナ戦争が示す現実は明白です。
軍事と技術こそが外交を支え、国家の独立と平和を保障する唯一の現実的手段です。
日本もまた、この現実を直視し、主体的な国家戦略を構築しなければなりません。