ようやく決着をみた米国の対日「相互関税」については、多くのエコノミストが批判的な見解を示しています。
独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の森川正之氏は、この関税政策が貿易の不確実性を高め、日本を含む世界経済全体を下押しする危険性を指摘し、第一生命経済研究所の熊野英生氏は、「相互」とは名ばかりで経済合理性に欠け、株価や為替に悪影響を及ぼすと分析しています。
さらに、アジア経済研究所の渡部雄太氏は、計算式上は一見妥当性があるように見えても、実際には貿易赤字解消に必要な率の4倍もの関税を課しており、経済学的に矛盾だらけだと批判しています。
要するに、これら専門家の見立ては一致しています。
すなわち「相互関税」は、経済政策として成り立たないばかりか、貿易戦争やインフレを招くリスクを孕みつつ、国内政治におけるパフォーマンスや国際交渉の武器として利用されているにすぎない、ということです。
関税と安全保障を「武器」として世界経済のルールを書き換えようとする姿勢は、トランプ氏が初めて示したものではありません。
半世紀前、第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソンが、基軸通貨ドルの金兌換を停止し、ブレトンウッズ体制を崩壊させた「ニクソン・ショック」を断行しました。
文春新書『基軸通貨ドルの落日』の著者・中野剛志氏は、今回のトランプ・ショックと1971年のニクソン・ショックには7つの共通点があると指摘しています。
いずれも自国経済の不均衡や赤字を背景に、世界経済システムを自国に有利に再編するための強引な手段だったと中野剛志氏は述べています。
ニクソン・ショックを後押しした背景には、新自由主義というイデオロギーが存在していたのです。
すなわち、完全雇用を優先するケインズ主義に代わり、物価の安定と市場原理を最優先する考え方こそが新自由主義であったのです。
その象徴が、1979年にFRB議長に就任したポール・ヴォルカーの「高金利政策」でした。
政策金利は20%に達し、アメリカ経済は深刻な不況と製造業の空洞化に直面しました。その一方で、高金利を求めて世界の資本がアメリカに流入し、金融市場は急膨張しました。
こうして進展した「金融化」は、労働者の賃金を抑え、株主への利益分配を優先する構造を固定化しました。
さらにグローバリゼーションの進行により、企業は安価な労働力を求めて海外へ拠点を移し、労働組合の力を弱めることで、賃金上昇を抑制しました。
その結果、格差拡大と中間層の没落が進行し、政治不信とポピュリズムの台頭を招きました。
その延長線上に、トランプ政権の誕生があるのです。
したがって、トランプ大統領の「相互関税」は経済政策としては矛盾に満ちています。
しかし同時に、それは新自由主義的な政策が生み出した格差や不満を背景に、「製造業の復権」「アメリカ第一主義」を象徴的に掲げる政治的メッセージとして機能しています。
ニクソン・ショックが世界の通貨体制を揺るがせたように、トランプの関税政策もまた、国際経済秩序に大きな不確実性をもたらしています。
重要なのは、この動きが一時的な現象ではなく、半世紀にわたる新自由主義の帰結であるという歴史的文脈を踏まえて理解することではないでしょうか。