人類の歴史は、残念ながら戦争の歴史そのものと言っても過言ではありません。
ゆえに、人類にとって戦争と平和は、決して解決されることのない永遠の課題です。
たとえば、我が国の戦国時代を振り返ると、いっときの和平はしばしば次の戦いの準備期間にすぎず、中途半端に戦を終えれば、後に復讐を招く例が圧倒的に多かったのです。
つまり「平和」とは、単独で存在するのではなく、常にその背後にある「力」によってのみ保障されてきたのです。
この点は、現代国際政治を分析する際にも重要な示唆を与えます。
国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは『リベラリズムという妄想』の中で、国際社会におけるルールや制度が平和を保証するという考え方は幻想にすぎないと断じています。
アナーキー(無政府状態)の下にある国際政治において、国家は自らの生存を守るために武力や抑止力を行使せざるを得ないというのです。
この視点から振り返ると、織田信長の戦略は極めて現実主義的でした。
たとえば、信長は伊勢長島の一向一揆勢力を攻め、結果として約2万人を根切り(皆殺し)にしています。
では、なぜ信長は伊勢長島の一向一揆に対しても、徹底的な殲滅という手段を選んだのでしょうか。
そこには二つの理由があったと考えられます。
第一に、一向宗徒が国の統治者ではなく宗教指導者の命令を優先するがゆえに、秩序を脅かす存在だったことです。
信長は武士が一元的に天下を治めることで日本に平和と安定をもたらそうとする「天下布武」を掲げていましたが、教祖の権威を絶対化する宗教勢力はその障害になると見なしたわけです。
第二に、徹底的な殲滅は全国の一向宗徒への見せしめとなり、反抗の芽を事前に摘み取れると信長は判断したからです。
実際、後に石山本願寺は「朝廷の和平工作を拒めば伊勢長島のように皆殺しにされかねない…」という恐怖から、最終的に信長に降伏しています。
このことから、信長が長島一向一揆を徹底的に叩き潰したのは、残虐性を誇示するためではなく、むしろ後のさらなる悲惨な戦いを防ぐための「現実主義的な選択」であったと解釈する余地もあります。
この歴史的事例は、ミアシャイマーが指摘する国際政治の現実と符号します。
すなわち、理想や制度だけでは持続的な平和は実現できず、むしろ恐怖や抑止、つまり「力の行使」によってこそ平和は維持されるのです。
現代においても、各国が軍事力を背景に相互に抑止を働かせることで、全面戦争はかろうじて回避されているにすぎません。
したがって、信長の行動を単なる冷酷な暴虐と片づけるのではなく、歴史的事実として「さらなる悲劇を防ぐための現実的な判断」と理解しうる一面があったと捉えるならば、私たちは過去の歴史から現代国際政治を考えるうえで極めて重要な示唆を得ることができるのではないでしょうか。