フォーリン・アフェアーズ6月号に、ウェルズリー・カレッジの政治学者、ステイシー・E・ゴダードの論文が掲載されています。
この論文では、近年の米国外交が『大国間競争』から『大国間協調(あるいは共謀)』へのシフトとして描かれています。
しかしながら、ジョン・ミアシャイマーが『リベラリズムという妄想』で示した現実主義の視点に立てば、ゴダードの議論は根本的に脆弱であり、国際政治の現実を直視していないと言わざるを得ません。
ゴダードはまた「協調」や「競争」の成否を、ルールやフォーラム、公共財といったリベラルな制度設計の有無に求めています。
ところが、ミアシャイマーにとって国際政治は本質的に「アナーキー下の権力闘争」であり、制度や理念は大国の利益のために利用される道具にすぎません。
したがって「協調の物語」をリベラルな規範秩序として語ること自体が幻想なのです。
またゴダードは「大国間競争」と「大国間共謀」を異なる外交路線として対置しますが、現実主義の立場から見れば両者は同じ「権力政治のゲーム」の変種にすぎません。
ヨーロッパ協調の歴史が示すように、いかなる協調も力の優劣が変われば必ず崩壊します。
トランプの「大国間共謀」も一時的な便宜に過ぎず、それを制度設計や理念に基づく安定秩序として語るのは、まさにリベラルな妄想の典型であると言えるでしょう。
さらにゴダードは「大国間協調」が小国の声を抑圧する点を問題視します。
むしろこれは国際政治において常態であり、リベラル秩序が掲げる「小国の権利尊重」という理想そのものが非現実的です。
小国の不満が秩序を掘り崩すことはあっても、それはリベラルな理想が裏切られたからではなく、そもそも最初から力の論理によって規定されている必然なのです。
またトランプ外交をめぐる評価も対照的です。
ゴダードは「大国間競争」を壊し「大国間共謀」に走ったトランプを危険視しますが、ミアシャイマーの視点から見れば、民主主義対権威主義というリベラルな二項対立を無視し、米国の国益を基準に中ロと取引する姿勢はむしろ現実主義的だと評価できます。
もっとも、勢力圏の安定はあくまで一時的であり、パワーバランスの変化によって必ず崩壊するため、協調も共謀も長期的秩序を保証することはできません。
実際、ロシア・ウクライナ戦争こそ、リベラリズム戦略の失敗が招いた象徴的な事例だと考えます。
NATOの東方拡大や「民主主義の普遍化」といったリベラルな理念を米欧が押し進めた結果、ロシアを安全保障上の脅威に追い込み、最終的に武力による対応を誘発しました。
リベラルな理想を掲げた外交こそが、現実には戦争を引き起こす原因となったのであり、このことはミアシャイマーの警告を如実に裏づけています。
結局のところ、ゴダードの論文は大国間関係をリベラルな制度や理念の枠組みで説明しようとしていますが、ミアシャイマーの言う「妄想」から抜け出せていません。
協調も共謀も結局は権力政治の道具にすぎず、小国の権利を守る秩序など存在しないのです。
私はジョン・ミアシャイマーの見解を支持します。
そして、ロシア・ウクライナ戦争が示すように、リベラルな幻想を追い続けることは、むしろ戦争を誘発し、国際秩序を不安定化させる危険を伴うのです。
以上を踏まえれば、国際政治を理解するためにはリベラルな幻想を脱し、むき出しのパワーポリティクスを直視する必要があると考えます。