8月15日の「終戦の日」、政府主催の全国戦没者追悼式で、石破総理大臣は式辞を述べました。
戦後80年を迎え、戦争を知らない世代が大多数となったと指摘しつつ、「戦争の反省と教訓を深く胸に刻み、恒久平和の実現に向けて行動していく」と語りました。
一見すれば平和を願う常套句のように聞こえるこの言葉ですが、問題は「反省」という言葉の使い方にあります。
石破首相が言う「反省」とは、敗戦の要因を冷静に振り返る「なぜ負けたのか」という意味ではありません。
むしろ、東京裁判が押し付けた「日本断罪論」を全面的に受け入れるという文脈での「反省」なのです。
驚くべきことに、東京裁判を否定的に見る保守系知識人の中にも、「日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れて独立を回復した」と誤解している人が少なくありません。
そのため「受け入れた以上、東京裁判について文句は言えない」と短絡的に考える論者が後を絶たないのです。
しかし、本当に条約の原文を読んだことがあるのでしょうか。
サンフランシスコ講和条約第11条には、こう記されています。
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
ここで日本が受け入れたのは「the judgments(諸判決)」です。
つまり我が国が受け入れたのは、あくまでも「結果として下された諸判決」であり、「裁判そのもの」を承認したわけではありません。
この違いは決定的です。
冤罪で訴えられた人が、最高裁で有罪判決を下され、やむなく刑に服する場面を想像してください。
その人は「判決」を受け入れざるを得なかったのであって、「自らの罪」や「裁判の正当性」を受け入れたわけではありません。
日本が置かれた立場もまさにこれと同じで、あの裁判を正当な司法手続きとして承認したことを意味しません。
要するに、敗戦国として「諸判決」に従わざるを得なかったのです。
ちなみに、「判決」と単数で訳すのは誤りです。
原文はjudgmentsと複数形であり、正しくは「諸判決」と訳さねばなりません。
東京裁判では、その実態を象徴する出来事がありました。
裁判冒頭、日本側弁護団の清瀬一郎博士は、ウィリアム・ウェッブ裁判長に対し「この裁判の管轄権(jurisdiction)はどこにあるのか」と問い質しました。
ところがウェッブ裁判長は答えることができず、「後に闡明する」と言葉を濁したまま、ついに令和の今日に至るまでその答えは示されていません。
管轄権を自ら立証できなかった時点で、東京裁判は本来「裁判」と呼ぶ資格を持たない、単なる政治的ショーにすぎませんでした。
繰り返します。
日本がサンフランシスコ講和条約で受け入れたのは「東京裁判」そのものではありません。
受け入れざるを得なかったのは、あくまでも「諸判決」だったのです。
敗戦利得者によって形作られた戦後日本では、この違いは巧妙に隠され、学校教育でも語られることはありません。
結果として、多くの国民が誤解を抱き続けています。
戦後80年の節目にあたり、私たちはこの事実を直視する勇気を持たねばなりません。
日本人自身が自国の歴史をどう理解し、どのような未来を築くのか、その主体性を取り戻すために。