石破政権の延命は、民主政治の形骸化である

石破政権の延命は、民主政治の形骸化である

きのう、参議院議員選挙の投開票が行われました。

与党(自民・公明)が大幅に議席を減らし、石破首相が勝敗ラインと定めた非改選を含めての過半数(50議席)すら確保できませんでした。

しかも、昨年の衆議院総選挙と今年6月の東京都議会議員選挙に続き、今回の参議院議員選挙でも大敗を喫したわけですから、当然のことながら、石破首相はその責任をとって退陣するものと思っていましたが、なんと「比較第一党としての責任は重い」との苦し紛れの理由を掲げ、続投の意思を表明しています。

自民党の結党以来、ここまで厚顔無恥に政権に居座ろうとする総裁は前例がないのではないでしょうか。

かつての三木武夫氏、宇野宗佑氏、海部俊樹氏、あるいは安倍晋三氏でさえ、一定の「引き際」は心得ていたように思われます。

引き際を見誤った石破首相、そしてそれを容認する自民党の姿勢は、政権政党としての劣化そのものであると言わざるを得ません。

自公与党が過半数割れしている以上、いずれかの野党との連携が必要となりますが、昨年の衆議院総選挙に続いて今回も躍進した国民民主党の玉木代表は「約束を守らない石破内閣には協力できない」とし、立憲民主党の野田代表もまた野党連携を強調しているため、政局の混迷は避けがたく、国政全体が機能不全に陥るおそれがあります。

国民民主党が「閣外協力」すら拒む姿勢を崩さなければ、石破政権はすでに政治的な求心力を失い、実質的に機能不全に陥る危険性が高まります。

そうなれば、政策ベースの個別法案の調整すら困難となり、政権運営は著しく停滞する可能性があります。

加えて、石破氏が「比較第一党であること」を理由に続投を決めたことで、さすがに岸田派や麻生派を中心に「敗北責任論」が強まる可能性はあります。

党内から退陣を迫る動きが活発化すれば、ポスト石破を巡る総裁選前倒しの動きもありえます。

あるいは、世論や党内の圧力により石破首相が退陣に追い込まれれば、新たな自民党総裁が選出され、「信任を問う」として衆議院の解散・総選挙に打って出る可能性も出てきます。

現時点ではリスクが高い賭けですが、自民党が求心力を回復する一つの手段となります。

自民党内での退陣圧力が不発に終わった場合、立憲民主党・国民民主党・維新などが結集して内閣不信任案を提出するシナリオもあり得ます。

その場合、一部保守系野党、たとえば国民民主と維新を軸とした新たな連立政権樹立の動きが起きるかもしれません。

いずれにしても、連立与党が過半数を割り込んだ以上、政権の正統性は大きく揺らいでおり、もはや民意を反映する政府とは言い難いのが実情です。

こうしたなかにあっても、石破首相はなお政権の座にしがみつく構えですが、現行憲法下の制度では、首相自身が辞任を決断しない限り、たとえ与党内から不満が噴出しても、首相を制度的に辞任させる手段は極めて限られています。

信じがたいことかもしれませんが、大日本帝國憲法下の首相は、閣僚の一人が辞意を表明すれば、内閣は即退陣しなければなりませんでしたし、元老会議から不信任をつきつけられれば即退陣でした。

ご承知のとおり、小泉純一郎内閣のとき、首相が標榜する「郵政民営化」に異を唱えた閣僚は即座に罷免されています。

以上を踏まえれば、現行憲法下の首相の方が、帝国憲法下の首相よりもはるかに強い権限を持っていると言えます。

帝國憲法を“軍国主義憲法”と短絡的に誤解する向きもありますが、まったく異なります。

たとえば、帝國憲法において兵役の義務が規定されていることをもって「帝國憲法に復元すると、再び徴兵制が敷かれる」と批判する人たちがおられますが、帝國憲法第20条が謳う「兵役の義務」とは、国民の国防の義務を謳っているにすぎないのであって、必ずしも徴兵制を前提としておらず、志願制などを含めた招集の具体的方法は別途法律で定めるとされていました。

国民の国防を守る義務は、現行憲法下でも同様です。

招集方法を別途法律で定めれば、現行憲法下であっても徴兵制を敷くことは可能なのです。

帝國憲法下の首相よりも、さらに権限と力を有した現行憲法下の首相を頂いていることを、今を生きる日本国民はどこまで理解しているのでしょうか。

少なくとも地方議会の立場から申し上げれば、予算措置、制度改正、法令整備のあらゆる場面で、その影響は確実に地方に波及しますので、国政の停滞は即、地方行政の停滞に直結します。

だからこそ、問われるべきは、政権を担うにふさわしい政党と政治家とはいかなる存在か、という点です。

次回の国政選挙に向けて、私たち有権者一人ひとりが、その責任と覚悟をもって真に託すべきリーダーを見極めなければなりません。